U-MAIL(ウンコ通信) 2001/10/09
なぜ、あんなにカンタンに崩落したのか?
超高層ビルNY「ワールド・トレード・センター」の夭折のウラにあったもの
* えー、「末期シホン主義」のウンコのまん中で暮らしているワレワレの「状況」のキーワードは何かというと。「過剰」と「受け身」だと思うのですよ、ワメ(ワタクシメの略、「国鉄」の貨車の記号みたいだが、今後1人称として、これを用いることにする)としては。
* 「受け身」とは「IT」に象徴されるブラックボックスにビッシリ囲まれたワレワレの生活状態。ワレワレも情報も、つまりは両端の材料、主役はそれをツナぐ「ネット」。そのネットのウラに思惑があれば、情報はいかようにも偏向可能。今回の一連のテロ事件にしても、西マワリのウンコしか入ってこない。ウンコの編集権は各国のTV中心の メディァが持っている。そんな状態のなかで「日の丸ウンコ」をヒリ出せ、と西欧倶楽部からセッつかれるのだから、コイズミ君もタイヘン。
* 「過剰」はさらに大モンダイ。シホン主義には「過剰」と「不足」はツキモノで、それが景気変動を起こすのだ、と言うのはケイザイ学者の説明だが、実は、そんなギロンでは説明のつかない「大過剰」が発生するのだ、末期シホン主義の世界では。一種の自家中毒で発生する大ウンコ、大宿便、それはほとんど癌。で、この「大過剰」はナマジな「消費」では処理できない。「大蕩尽」が必要になる。100万個のイチジク潅腸による大下痢による以外解決不可能。「大戦争」またはそれに準じるモノ。
* で、今回のNYテロ。これはパクス・アメリカーナ発の「戦争ゴッコ」で収まる性質のモノではない。末期シホン主義のテクノロジーがヒリ出した「超高層ビル」と「ジェット機」、この二大ウンコが、マンハッタン劇場で演出した「ポトラッチ・ドラマ」「大蕩尽」劇だったので。ニンゲンの感覚限度を超えた「高さ」と「速度」、「壁」と「風」のバトルに他ならない。ブンメイ論的にはそーなる。
* で、ここでギモンの多いWTC(ワールド・トレード・センター)ビルの大崩壊を、改めて検討してみたい。
* 誰もがフシギに感じている。いくらジェット機に突っ込まれたからと言って、あんなにカンタンに崩落するものだろうか?
* これは「建物自体」にもモンダイがあったのでは?
* ホントは建築家、または建築評論家からの発言が欲しいのだよ。でも今のところ、そうした発言は出ていないようだ。そこで、シロートがシャシャリ出ることにする。悪しからず。
* 日系二世ミノル・ヤマサキ氏の設計により、1976年に「トレード・センター・プラザ」のシンボル・タワーとして完成したこのトゥィン・ビルは、建築家ヤマサキのアメリカン・ドリームの到達点であり、アメリカ型シホン主義 、ニューヨーク市、そして彼自身の生涯の最終モニュメントであった。
* 被爆した部分から上の階が崩れるのは解るのだが、全棟がイッキに崩壊してしまったのは、誰にとっても予測外のことだったに違いない。一般乗客を道連れにしたテロリストにしたって、アメリカのシンボル、シホン主義のシンボルをブチ折ること自体が目的だったはず。何千人の一般市民を結果として殺戮してしまったのは計算外のことだったのでは。TVの前から身動きならず、事態の成り行きを凝視していたワレワレとしてもまるで火砕流、巻き上がる粉塵の中にビルが崩れ落ちるのを見たときは、えーッ?とワガ目を疑った。
* このビルの中で執務していた人達、救助のために中へ入って行った消防隊員達にしても、非常に危険な状況であることは解っていたはずだが、マサカ全棟が崩壊するとはユメにも思っていなかっただろう。
* この110階の超高層ビルに関して、世間一般に、重大な「思い違い」があったのではないか、とワメは考えるのであります。
* それは、このビルが、一見、いわゆる箱型ビルのカタチをしており、普通箱型ビルは全階に鉄骨スケルトンが貫通していて、その強度をタヨリに薄いガラスのカーテンが周りを覆っているのがキマリ。
* ところが、日系二世ミノル・ヤマサキ氏の設計になるこのビルは、後述するように、この鉄骨スケルトンではなく、強度は高いが細いスティールをコンクリートで覆ったプレハブ的部分材を、壁のように積み上げる手法で作られていた。
* そりゃまァ、ジェット機に突っ込まれることまで考えてビルを作るわけはないのだが、この、「見かけと実体とが違うビル」が、事態への対応を誤らせ、人的被害をあんなに大きくしてしまったのではないか、とワメは考えるのだ。
* 「見かけと実体の違い」というイミを解って頂くために、アメリカの「高層ビル」の歴史を大ザッパに説明する。
* まず、1930年代、第一次世界大戦後、完全に世界経済の中心に成り上がったアメリカの活力の象徴のように、ニューヨークに超高層ビルが林立しはじめる。例えばクライスラー・ビル、エンパイア・ステート・ビルなど。
* これは「摩天楼・SKYーSCRAPER」と呼ばれる。
* その特徴はヨーロッパの歴史を引きずった「塔」の意匠をテッペンに載っけていること。つまりヨーロッパでは「教会」が「都市」の象徴であり、自由主義経済、レッセ・フェールの申し子、底抜けの経済活力で天を目指して伸び上がる新興アメリカといえども、まだココロの中に「天なる父」へのコンプレックスがあった、とでも言うか。ただし、その工法の基本は鉄骨により補強された「壁」構造。すべての荷重は「壁」が支える。
* それに対し、第二次世界大戦後の1950年代、戦時中にナチスを逃れてアメリカに亡命し、シカゴで活動を始めた建築家ミース・ファン・デル・ローエを中心に、いわゆる ノッペラボーの箱型ビルが「インターナショナル・スタイル」と呼ばれてラッシュとなる。ほら、70年代以降の新宿副都心のビル群が、時代オクレのそのオッカケだ。ミースにはチャンと「形は機能に従う」という建築テツガクがあって。塔だのなんだの宗教的なお飾りは一切はぎ取って、スケスケのガラスの皮を透して、ビルの構造をロコツに見せることが「建築美」であると言う立場。
* これは別に「天」を目指しているわけではない。時代的に職人の技術に頼ることが難しくなり、建物の材料は機械生産が標準となり、都市への人口集中により、地価も高騰して、やむなくビルの超高層化がすすむという、経済的要因からの現象。その典型的な作品が1958年、ニューヨークに完成したスティールとガラスのシーグラム・ビル。ただし、このビル、実際には建築家ルイス・カーンがこれを「着衣の下にひそかにコルセットを着込んだ美女」と呼んだように、その単純な外観の内部に、沢山の支柱を「隠し持って」いたのだ。
* だからこの箱型ビルは「超高層・HI-RISE」と呼ばれて摩天楼とは区別される。
* このように、アメリカの高層ビルの世界には、「摩天楼」VS.「箱型超高層」という基本的な移行構図があった。
* そうした一元的な流行のパターンが崩れて行くのが60年代半ば。いわゆる「ポスト・モダン」がワイワイガヤガヤと登場する。ほら、思い出すではないか、日本でも既成の権力や価値に[NO]を突き付けるヒッピー志向のワカモノが育って来て、やがてゼンガクレンに成り上がって行く、その前夜に当たる時期だ。
* 「ポスト・モダン]の当面のテキは当然「箱型インターナショナル」。
* ヤマサキがWTCという巨大プロジェクトに取り掛かったのはこの時期。つまり、体制的にはまだ箱型ビルを提唱した方が、お上からのオスミツキを貰い易いが、建築思潮的にはそれではフルイと指さされてしまいそうな。
* それまでに手掛けた、いくつかの高層ビルの仕事を通じて、ヤマサキは「外周ベアリング」という独特な手法を開発していた。一見「箱型」に見えるのだが、実はそこには背骨としての鉄骨は無く、美しく仕上げら れたビル表面の「壁」そのものがビル全体の荷重を支えるという、綿密な計算に基づく建築サーカス。その「壁」面のセンサイなウツクシサがヤマサキの「売り」だった。
* ワメの推測。一見、典型的箱型ビルに見えて、実はそれとは異なる構造原理に基づいたヤマサキの作品の一種の「脆弱性」が、結果として、今回のクラッシュの被害の大きさにツナガったのではないか?
* その推測の根拠として、建築に関する何冊かの本の中からいくつかの意見をピックアップしてご紹介してみる。
証言1: ミノル・ヤマサキの「虚偽的外被」
(「摩天楼」ポール・ゴールドバーガー著/渡辺武信訳・鹿島出版会 1988)
* この「摩天楼」なる一書は、1981年に書かれた辛口のアメリカ高層建築発達史。ゴールドバーガー氏は、ニューヨークタイムス紙専属の建築評論家。訳書ではそのP.242〜P.248にかけて、「ヤマサキ」と「ワールド・トレード・センター」についての記述があるのだが、かなり手厳しい。その部分ご紹介する。
ヤマサキは塔の表面をゴシック様式を思わせる繊細なハザマ飾りで覆うデザインをさかんに行なった。1964年にシアトルに建ったIBMビルのような建物では贅沢で退屈という域を出ていない。しかし、1976年にマンハッタン南部に建った110階のツイン・タワー、ワールド・トレード・センターでは、このハザマ飾りの手法がほとんど悪賢いとも言えるような効果を発揮している。
このような巨大な塔を繊細な外被ですっぽり包みこむのは明らかな虚偽であり、そのために建築の構想全体がそもそも不誠実なものではないかと思われるほどだ。
トレード・センターはその建築観において確実に後退した作品である。この建物は広大な広場に建つ二つの全く同じ単純な箱型をした塔である。店舗部分はすべて地下に隠されているので、目に見えるのは道路レベルに残された1960年代の都市開発の最悪の例の遺物とも言うべき簡素な形態だけである。
この塔はマンハッタンで最も背の 高い建物という地位をかち得たものの、高さ以外の点では都市のスカイラインにほとんど貢献していない。その頂上が平坦な巨大な量塊は、空に挿しこまれた生気に満ちた薄片のようであったクライスラーやエンパイア・ステートとは大違いで、視野の興趣をひどく殺ぐような影響を周囲に及ぼす。
しかし、まぁこの塔が単独ではなく一対として建てられたのは、せめてもの救いとして感謝しなければなるまい。二つの箱型はお互いをかなりうまく引き立てあってミニマル・アートの彫刻のような効果も生んでいるからだ。もしこの塔が唯一つであったら、その結果は実に恐るべき陳腐さに陥ったことだろう。
* は。双子の宿命というか、連続テロによって、ゴールドバーガー氏のいう「陳腐さ」からは免れたわけだが。
証言2: ミノル・ヤマサキ/吉岡亮介
(「現代建築を創る人々」神代雄一郎編・鹿島出版会 1967)
* この一書は、「巨匠時代のあとにくるもの」という視点から、60年代に中堅として活躍中だった欧米の建築家10人を、それぞれ関わりのあった日本の建築家10人が紹介執筆したもの。ヤマサキの他には、たとえばルイス・カーンとかフィリップ・ジョンソンなどが取り上げられ、日本側の執筆者には、槙文彦や、磯崎新などが名をつらねている。「巨匠」とはたとえば、ライト、コルビュジェ、グロピウス、ミース、サーリネンといった人達を指す。
* ヤマサキに関しては、そのオフィスで働いたことのある吉岡が執筆者となっている。そのところどころ、今回のクラッシュと関連すると思われる部分を抜き出してみる。
1964年、彼はシアトルにIBM社の20階建てオフィス・ビルを完成した。ここで彼はシカゴ派以来、半世紀にわたって高層ビル構造の常識とされていた、カーテンウォールで化粧した鉄骨スケルトンの代わりに、これとまったく違った、新しい構造方式を開発した。垂直性を強調する2フィート4インチ間隔の方立そのものを構造主体とし、その裏の鉄骨スケルトンを完全に消去してしまったのである。
すなわち、この建物における荷重はすべて中央のコアと、外周のプレキャスト・コンクリートで被覆された高張力鋼パイプの細柱で支えられている。
このような「外周ベアリングウォール」方式の固有の問題として、地上階までその壁を下した場合、地上階に充分な広さの開口部を得ることができない。IBMでヤマサキが用いた手法は、地上階と二階から上とをまったく違った二つの構造要素に分けることであった。これら二つのあまりに対照的な要素の間の違和感は否定できない。
しかしヤマサキは1971年完成予定のワールド・トレード・センターにおいて、ついにこのベアリングウォール柱脚部の処理に成功する。(※)上部の細い柱三本づつを一本にまとめた地上階部分は、高さ世界一のベアリングウォールの緊張感を失わず、しかも必要にして充分な開口部を与えている点で見事である。
(※) 「YOU1
& FEYE のページ」 http://www8.gateway.ne.jp/~yosiura/ から
【ニューヨーク建物案内】
http://www8.gateway.ne.jp/~yosiura/newyork/worldtrade/worldtrade.html
の画像4〜6の【拡大】を参照。
* 「彼は深遠な哲学や理論に立脚して作品を作るタイプでも、また自分の作品の裏づけに百の理屈を展開するタイプでもなく、遥かに情緒的で直観的な建築家である。彼の建築が、これに接する一般の人々によって熱狂的に受け入れられる半面、専門家の間で必ずしも、全面的に支持されない理由の一端はこの辺にあるのであろう。」
* その「専門家のイチャモン」というのは例えば。
「ここにこそ力強さが欲しいと思う部分にそれがない」 (フィリップ・ジョンソン)
「ヤマサキは今や単なる装飾家だ。美しい建物を建てようとはきまり文句で、実際には建築のことは考えていない」 (ゴードン・バンシャフト)
「ヤマサキはゴシックの論理なしに、ゴシック様式のファサードを大量生産した。よく言ってこれは芸術的遊びに過ぎない」 (I・M・ペイ)
* 逆にホメ言葉。
「彼の最も顕著な特徴は構造そのものをデザイン・モティーフとして取り扱うことだ」 (丹下健三)
* 建築であれ、絵画であれ、文学であれ、その作品の性質をキメる重大な要素の一つは当人の生い立ち、それを出発点とする人生経験のアレヤコレヤであろう。銀の匙を啣えて生まれてきたヒト、貧乏の中に生まれてきたヒト、それぞれに得失があってフシギはない。時代の脚光を浴びて完成しわずか30年の後、オソロシイ阿鼻叫喚とともに、地上から消えて無くなった超高層ビルは、どんな人生を歩んできた設計家によって建てらていたのか?
* ミノル・ヤマサキ氏。1912年シアトル生まれ。父親は富山県の農村からの移民で、靴工場で働いていた。一家は人種偏見と貧困の中で暮らしていた。高校在学中に建築家を志す。学資を得るためアラスカの鮭罐工場で時給17セントのアルバイト、苦学の末、ワシントン大学を首席で卒業したものの、当時の経済大不況で、二世である彼には就職口などなく、西海岸を離れ、1934年、ニューヨークへ。ここでも、建築関係の仕事などなく、商社で瀬戸物の包装などをして、一年を過ごす。
* その後、エンパイア・ステート・ビルの設計者シュリーブ・ラム・アンド・ハーモンやインダストリアル・デザイナーのレイモンド・ローウイなどいろいろな事務所を転々としながら、この世界へ入って行く。
* 1941年12月、真珠湾攻撃の2日前に、日系二世のピアニストと結婚、開戦によって職を失った両親をシアトルから呼び寄せ、日系人に対する反感と戦いながら、才能を認めさせ、1945年には、デトロイトの大手建築事務所の設計部長となる。1949年、仲間二人と事務所を開く。ここでの最初の仕事、セントルイス空港ビルが 評判となり、注文が殺到、オーバーワークの結果、胃潰瘍を繰り返し、一時は危篤状態に陥るが、それを乗り越えて、有名建築家への道を歩き始める。
* 1950年代に入って、神戸のアメリカ領事館設計の仕事で日本滞在中に、はじめて意識的に日本建築、日本庭園に触れ、帰途インドで見たタージ・マハルとともに、その感動がその後の彼の作品に大きな影響を与えたといわれる。たとえばそれは、建物の前面に池をしつらえたり、回遊式庭園風のアプローチを試みたり、という一種エスニックな意匠の採用に表れている。
* 1963年、デトロイトのガス会社の28階のオフィスビルが、最初に手掛けた高層ビル。1964年、シアトルIBMの20階のオフィスビル、などを経て、1971年のニューヨーク・ワールド・トレード・センター・ビル(以後WTCビルと略す)に至るわけだ。
* このWTCビルで、ヤマサキ氏は超高層ビルに付き物の、厄介な2ツの問題をクリアして見せた。
* ひとつは、エレベーター。高層ビルではエレベーターの占める床面積が大きくなって、有効貸室面積が減る。ヤマサキ氏は途中2ケ所にスカイロビーと称するエレベーター乗り換え駅を設けて、エレベーターシャフトの数を減らし、ビル全体の床面積に対する有効貸室面積の割合を、従来の平均77%に比べて87%と10%も増やしている。
* もうひとつは、これが今回のクラッシュに関係してくる要素だと思えるのだが、構造システム。つまり現代超高層ビルの元祖ミースが始めたステイールのホネとガラスのカーテン、という箱型定番、全体の見かけはそれに倣ったように見えて、その実、ホネの部分の構造に、ステインレス・スチールで包んだ高張力鋼の細い柱を使用、これが緻密な計算によって、110階の強大な垂直荷重と風圧による水平荷重に「最高の能率」で対応するよう設計されており、この工法の御蔭で定番的鉄骨フレームに比べ、40%の鋼材コストダウンに成功したというのだが。
* とにかく、土地購入費含めた総工費予算が1890億円、延貸室面積30万坪、5万人の日常執務、8万人の出入りを見込んだ高さ410メートルの、未曾有のビルだったのだ。
* このビル設計の仕事が、いかなる理由、いかなる経路でヤマサキ氏のところへ来たのかについては、ワメは知らぬ。ヤマサキ氏は、それまでに培ったすべての腕前を発揮して、美学的にも、モニュメント的にも、シホン主義的にも、期待に応えて、見事なビルを完成させた、ということだったのだろう。
* ここからは、例によって、ワメのきわめて偏見的、短絡的、独断的推測ウンコとなる。マユにツバしてお読み下され。
* ヤマサキ氏の若い頃の苦労クの字の貧乏は、アメリカ社会構造の階段をヨジ登るエネルギーとなったことは確かだろう。しかし、青年期の経済的な制約は、さまざまな見聞広めるチャンスにも制約として働いたかも。
* 周りで働いた経験をもつ人達の話から、かれが典型的モーレツ人間だったことが解る。度々の胃潰瘍手術、3度の離婚と4度の結婚、しかも4度目の相手は最初の日本人妻との再婚という人生。このヨジレ方は、痛々しい感じがする。いくら機会均等がタテマエのアメリカ社会であっても、東洋系二世が仕事に定着して行くためには、数々のコンプレックスとの遭遇があっただろうことが想像される。
* 1960〜61年、現代アメリカ文化を海外に紹介する放送、VOICE OF AMERICA の建築シリーズ講演集の中で、「アメリカの建築と日本の古建築」と題してヤマサキ氏は喋っている。
アメリカや他の国には、すべての建物は「逞しく」なければならないと心から信じている若干の、非常に影響力ある建築家がいる。「逞しい」という言葉は「力強い」という意味、建物は現代社会の力強さへの記念碑であるべきだという意味、に用いられている。このような建築家たちは、親しみやすい温和な建物を建てようとする試みを、やや嘲笑的に眺めている。
この考え方の根底には、われわれの文化が一義的にヨーロッパに由来するものであり、ヨーロッパ建築の重要な伝統的作品の大半が記念碑的なものである、という事実がある。すべての建築家の心の奥底には、われわれの時代のシャルトル大寺院を、サンピエトロを建てようとする野望がある。このような建物を見た時の圧倒的な感激と興奮は、われわれの考え方や作品に影響しないわけにはゆかない。けれどもわれわれは、われわれの時代のために建てる建物はまったく違った目的のためなのだ、ということを認識しなければならない。
記念性への追求には、他の建築家の建物よりも、逞しく、力強く、感激的でありたいという願いをそのまま現している「筋肉運動的な」建築の実例が見られる。このような建物は決して、民主的な社会に相応しい環境の一部とはなり得ない。われわれが憎悪する全体主義的な原理の世界像として、もっとも相応しい。
民主世界の側においても、私は、ル・コルビュジェのシャンディガールの最高裁判所のような秀れた芸術作品をさえ疑問に思う。私には、それが、人々が跪きながら入って行く巨大な異教寺院のように感じられた。このような自己中心の考え方は、アメリカにおける建築思想を混乱させている主要な原因の一つである。
この無政府状態を除去する唯一の方法は、われわれが持たねばならない建築のための本質的な条件を、その構造体の安定性や実用性や適合性という基本特性ばかりでなく、社会の経済的な構成という点に至るまで、考察することである。
* ちょっと論旨が不鮮明な感じもする。この時点ではヤマサキはまだ高層ビルは手掛けていない。ただ、いわゆるモダニズムのイデオローグ、フランスの烏、ル・コルビュジェへの反感はハッキリ浮き出ている。
* しかし、やがて、WTCビル完成時、時代のスポット浴びて、「TIME」誌の表紙に登場したヤマサキにとって、WTCはやはり、生涯の頂点の「記念碑」だったことは否めない。大日本ウンコ研究会事務局長としての、ワメのコトバで言い換えれば、「堂々たる2本糞」である。
* 110階の2本の超高層がニンゲンの生理に与えるテンションは、彼が否定した「全体主義的」なテンションと同じではないのか? 自由主義経済もその末期には「金融全体主義」の相貌を呈する。
* ヤマサキ氏の「意に反して」WTCは、「末期シホン主義」の傲岸と脆弱を見事に表現するシロモノであったのだ。シホン主義が行きつくところまで行きついてしまった事を象徴するタテモノであったのだよ。
* アメリカが自分勝手な自由主義経済を「グローバル」と称して世界へ押しつける姿勢。その「グローバル」のまさに中心としてのWTCビルが崩落したことは、どう反論しようとも、ウンコ・アメリカーナの「終り」の「始まり」のサキブレ。
* わずか30年で夭折したWTCビル。見かけは「インター・ナショナル・スタイル」の「箱型ビル」だったけれど、そのウラに日本人二世の「美学」が「脆弱性」とセットになって秘められていた。歴史の大いなるアイロニーではありましぇぬか。 合掌。
* さて、10/2(火)付けの朝日新聞に、建築家、安藤忠雄氏が、「テロ/戦争・日本は」というコーナーに一文を寄せられている。その要旨をご紹介しておく。
テロが絶対認められないのは大前提である。ただ今回の事件は、米国のスタンダードの押しつけによる経済至上主義や西欧文明と、非西欧文明の衝突ではないか。「多様な価値観を認めよ」という叫びにもみえる。
世界貿易センタービルは同じ規格のスペースが積み上げられた構造で、経済合理主義の権化のようなビルだ。建築学用語で「均質空間」と呼ぶ。米国流のスタンダードともいえる。
それが倒壊し、事件後、世界経済は大きな影響を受けた。テロ実行者の思惑通りに、ことは運んでいるのではないか。
いま、建築の世界でもこの米国流が世界を制覇している。世界には異なる文化、宗教、風土があるのだから、多様な建築があっていい。多様な価値を互いに認め、受け入れるべきだと思う。
思想や宗教が深くかかわる中東でのパレスチナ問題のようなケースは、米国の基準では解決できない。
* この「均質空間」というシロモノ。末期シホン主義の最後の一本のワラと目される「ITシステム」とは、実は「情報」という名の「数字」の伝達スピードを倍加する「均質空間」の別名。
* 「均質空間」には、いかなる「神」の居場所もない。
* えー、考えてみれば、歴史教科書の16世紀の「宗教改革」とは、実は、それまでに蓄積されてきた厖大な「神」のエネルギーが「生産力」つまりは「シホン主義」のエネルギーに替ってゆくキッカケ、西欧世界の、ムイシキ過剰のウンコ変質期であったのだよ。
* なし崩しに「神」はウスレてゆき、ローマの観光名所の中にフリーズされてしまう。
* 「生産力」に転化したエネルギーは、たとえば「エンジン」なる装置の発明によって、ヴェクトルを与えられ、フランケンシュタイン風「シホン主義」を急速形成してゆく。
* とどのつまり、「神」はアメリカの大都市の「摩天楼」のテッペンに追い上げられ、やがて、末期シホン主義の象徴、テッペン真っ平ら、全身ノッペラボーの箱型ビルに至って完全に居場所を失い、誰だかの予言通り、「神ハ死ンダ」のだよ。
* いま西欧に残っているのは「神」の残光。不在の神の名による不毛な定番セット、グローバル「強制」と「救済」つまりマッチ・ポンプが、ウンコ・アメリカーナのラスト・サーカスとして演出されているわけ。
* だからどーした、と言われてもコマッテしまうのだが。
* あの先代のモリ君がバクゼンとしたイメージから思わず口走った日本のカミガミ。稲の神に特定するのはヤバイが、田の神、川の神、ヤマノカミ。ワレワレは、こういった環境的神々を大切にして、ヨソの一元的、強圧的「神」による経済的セイシン的環境汚染を、極力防いで行くしかないではないか。
* つまりは、その「汚染」の始まった「明治維新」からのアレコレをもう一度やり直すしかない。たとえばこの国のインフラ構造に、癌のごとく棲みついている利権ウンコの大元、トーダイホーカを完全排泄してしまわねばならぬ。スベテの道はトーダイにツナガる。
* は。ワメのウンコバナシはいつもズレにズレて、オトシドコロはここにキワマルのだ。今回はセキニン取って、署名原稿と致そう。
ウンコをとっかかりに現代日本のユガミを検証し国体の便秘を治す
大日本ウンコ研究会事務局長 : 桜井 順
P.S. わが研究会のメンバーの各々方、どうかワタクシメに加勢して下されませ。
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