U-MAIL(ウンコ通信) 2001/10/16
* 「2001年の日本」 加藤秀俊・真鍋博・朝日新聞社=共同編集・1969年発行

* えー、30年ムカシの本であります。当時、社会批評のマスコミ・スター的存在だった京大人文学派の加藤氏と、未来志向の売れっ子イラストレイター真鍋氏をカンバンに、21世紀初頭の日本がどーなっておるか、当たるも当たらぬもハッケヨイヨイと四方八方の識者に予測させた、朝日新聞社シカケの一冊。
* 三部に分かれていて、第一部「国土」では、北海道、東北、関東平野、中部、関西、山地 瀬戸内海、九州、それぞれの未来をそれぞれの地域に詳しい識者が論じ、「日本列島」については、大来佐武郎・丹下健三が対談する。第二部「生活」では生活まわりのアレヤコレヤ70項目について、各分野の識者がその変化進化を予測する。第三部「考察」では、加藤氏が「未来へのアプローチ」と題して今や「未来」は「見えなくなった」、という結論を提出している。
* 久しぶりに本棚整理するうち、ホコリまみれでこの一冊が出てきたのだが、まァ、いうなれば30年サイクルのタイムカプセル、その予測のアタリハズレを検証してみなければ、この手の本はオモシロクもナントモない。そこで……
第一部は、総花的論文風が多く、ほとんどオモシロクない中で。「瀬戸内海」を論じた「神戸のグループ」だけがブッチャケた筆で、未来を見事に風刺している。かつては国会議員だった93歳の「古老」の感慨という「見立て」で、「2001年現在」の瀬戸内海が語られる。
人間の脳細胞のトレーニングをおこなうブレーン・センターが、いま、瀬戸内海の小豆島にある。全国的に猛烈な誘致運動が展開されたが、コンピューターに問うた結果、小豆島に即決したもの。かくて、ブレーン・センターを出た数多くの「ホモ瀬戸ナイエンス」の活躍により、瀬戸内は公害などのない、唯一の地域になっている
というヒトを食った出だし。さらに。
1968年までに、山陰地方に進出した工場は、めぼしいものだけでも、11社あった。三洋電機、神鋼機器、興和紡績、日本パルプ工業、日本レイヨン、日立金属工業、佐藤造機、オーエム製作所、大和紡績、山陽パルプ、それにエフ・ワン。といっても、いまの人たちは、聞いたこともない名前の会社だと、首をかしげるかもしれない。それもムリからぬことで、この中には、すでに倒産や合併などで無くなった会社もかなりある。
と、虚実ヒマクのホラ話は四方八方にエスカレートして、もはや別役実の「道具づくし」の世界にセマリ。
だが、山陰地方の人口流出を食い止めたのは、なんといっても中海干拓と淡水化、それに宍道湖の淡水化、対ソ、対朝鮮貿易のおかげである。しかも、いまは原子力発電所が林立し、その余熱を利用した除雪装置その他で、まったく快適な冬が過ごせるようになっている。道路も10年ほど前に中四新幹線(松江−岡山−高知)がつけられた。
そう、これは「未来の予測」なんかではない。「未来の諷刺」というアソビ。さらに。
ところで、橋づくりも結構だが、瀬戸内海には、もうこれ以上に橋は要るまい。ひところの架橋反対運動は、ようやく下火になりつつある。いまある橋の数を、指を折りながら数えてみた。公営が3本、民営が3本、すでに6本もある。それなのに、あのバカ会社めは、まだ2本もかけたがっている。会社側は、その2本の橋は3年前に大地震で倒壊した2本の再建にすぎない、と説明している。
見事デアル。この神戸グループは、30年も前に「日本国の研究」にツバをつけ、2年の誤差で、あの阪神大地震を、冗談のなかにキチンと予測しているのだ。脱帽!脱帽ついでに、このグループだけは氏名を公表してしまう。神戸新聞論説委員:梶真澄 氏、神戸市企画局調査部主幹:諸岡博熊 氏、主査:宮本実 氏。この一冊中のグランプリ!
第二部は、玉石混淆。それぞれの項目ごとに、専門家に依頼執筆させているのだが。テキトーに取捨選択のうえ。
「コンピュータ」
今日の情報手段(TV・電話・郵便・各種出版物など)の役割もこのコンピュータ・ネットと、何らかの形で融合していくにちがいない。
テレビは反射的、受動的人間像をつくりだした。しかしコンピュータは個々人の社会行動を能動的なものへ転換させる契機となる。
さァ、どーだか。コンピュータ頼りのIT型未来志向インフラ整備は、とどのつまり、G.オーウェルが「1984年」で描いた全体主義国民監視システム「TELESCREEN」にツナガりかねない。
「新聞販売」
一紙専売の競争が行き詰まって、合理化が進み、共配制度が大都市で普通の姿。スタンド売りが増えるが販売の主力は宅配。
ファクシミリ新聞はコスト高で、一般新聞の牙城を侵すまでに至っていない。
「ニュース記事の競争」ではなくて、オマケつきの「販売競争」。なんの反省もなく。今どきの記者の取材能力、表現能力のオソルベキ低下。この国のシンブンに未来はない。TOTO、プラスチック容器、ビニール・シートが普及した日常生活の中では、ただの「シンブン紙」としても使い道はない。あ、このまえどこかで、焼き芋包んでるのを見たっけ。
「エスペラント」
1966年、日本社会党の「学制改革草案」にもりこまれていた、初等教育へのエスペラント導入が、80年代に実現し、外国語の学習への予備学科として、大きい効果をあげている。
「駅前留学」による代用エスペラント「英語」の習得がパソコン用語とのカラミもあって、主流になるとはユメにも思っていなかったとみえる。もっともこの項の担当は、「日本エスペラント学会員」
「カナモジ」
ビジネスの分野、教育の分野、で広く使われる。
カナで書いてわかるコトバを、無理に漢字で書こうなどという、アタマのかたい意見は、もう通用しなくなるのが、2001年なのだ。
この項担当、「カナモジカイ」。ちょいとムリなリクツ。ワタクシメのごとき、手垢のつきすぎた定番熟語漢字の使用に抵抗を感じての、病的カナモジ乱用者もいるのだが。
「航空工業」
飛行機の動力が変わる。ロケット飛行機。ミサイルのように大気圏外を、時速27、000マイルで飛ぶ。世界中至るところ40分で行ける。最初は軍用で1980年の中ごろには使用されるだろう。一般旅客機として使用されるのは時間の問題。
は。これはイササカ飛びすぎた。NYワールド・トレード・センタービルのテロは、ミサイル・ロケットではなく、20世紀の遺物、ジェット機で行なわれた。
「カメラ」
恐らくレンズを必要としない立体像の見える映像機器が出現するのではないか。その時、写真業界に大きな革命がくるであろう。小売店においては現像焼付の仕事はカラーラボに移されて分業化し、手数料収入に期待することになる。
フィルムにリサイクル・レンズつけただけで「写るんです」という発想には届いていない。三流タレントのデバガメ心を刺激するデジタル・カメラについても、具体的予想は無い。とにかく、現代は、カメラの「犯罪可能力」が進化中であることだけはマチガイない。
「清涼飲料」
砂糖を主体としない即ちノーカロリー飲料を求める消費者がふえつつある。容器については、現在のビン、缶、ポリ袋ばかりでなく、合成樹脂によるものが開発されて、容器のリンク制も一部の商品、企業によってのみ残され、多種型のビンが統一されて生活に即応するものが生まれている。
この水源ユタカなニッポンで、清涼飲料ではない、タダの水が、ペットボトルに詰められ、日常必需品として、「コンビニ」とかに並ぶご時勢になろうとは。
「遊園地」
人々は遊園地に緑を求めはしない。スポーツをする場所でもない。遊園地は常設のお祭り、縁日のようなものになるだろう。そこはわざわざ自動車に乗って一日がかりで出掛けるようなところではない。
これは「後楽園スタヂアム」関係者の「意見」。そろそろウワサはあったはずだと思うのだが、「ディズニー・ランド」への言及はまるでない。大資本の「テーマ・パーク」時代には、豊島園のごとく、「プール冷えてます」と、かき氷レベルの庶民的呼び込みで対抗するしかない。「テーマ・パーク」には「庶民」はいない「大衆」だけ。嗚呼、「チョチョンのパ」がナツカシイ、と言っても、お若いカタにはナンノコトヤラ。
「食生活」
野菜類は化学肥料で促成栽培。季節感は失われるが、いつも不自由はない。肉類は高層専用ビルの中で、合成飼料と水で飼育され、短時間で食用になる。マーケットは、総合食品を扱う。米屋で野菜、タバコ屋で冷凍魚を売るようになる。米の消費量は今の1/2ぐらいになる。
何といっても、食生活のリーダーシップをとるのはテレビ料理。本日のテレビ料理セットが各局毎にケースの色できめてストアで売られる。味覚はグルタミン酸の味に画一化され、母の手料理の味は全く影をひそめる。
箸で一つ一つつまんで味わうと言うより、腹の中に合理的に流し込むことになるのでフォークとスプーンの合成されたものが開発されて利用される。
過不足なく「現在」を言いあてておる。特に、最後の「先割れスプーン」の予言はオミゴト。こうして「ニギリバシ」の、「字」のヨメない世代が育つのじゃ。この項の筆者は、さよう、かの田村魚菜先生。
「宗教」
知識、情報の流通速度と密度の飛躍的上昇は、人間の意識面における、特定地域社会特定集団への帰属感、帰属志向をどんどん稀薄化しつつある。既存の「大宗教」といえども現在の激しい「地球社会化」現象をカバーしきれない。
宗教の機能の一つは、ある特定集団への帰属意識の保証。これは近代、ある程度、国家によってとってかわられた。現在、この「国家」という結節点から、次第に上と下へ、「集団表象」の分解が進みつつある。国家から「企業集団」へ、「都市」へ。
最後に人類が直面するのは、「40億年の生物史をもつ地球社会をふまえた、超越的な宇宙および宇宙史との対決と帰依」といった問題。この問題に、個々の人間、集団、社会が、立ち向かう正当性を、保証する知的体系こそ、未来の「地球的宗教」あるいは「超宗教」ともいうべきものになって行く。
やれ、これは小松左京氏の担当部分だが、チョット難しい。大体、宗教を30年で区切ってみてもイミはない、ということだろう。身近なアレコレを振り返ってみれば戦後、社会に染み出してきた宗教モドキは、ソーカガッカイとオウムだろう。前者は「国家戒壇」の主張が軟化するに反比例して、一大テンション集団に成り上がり、後者は原始宗教の可能性と危険性と実践力をカイマ見せた後、逼塞しているが、どーなることやら、先は見えない。マグマを残している感じもある。
「家族計画」
日本はあと20年ほどは子供は2人の時代がつづく。しかし新しい世紀の年では、日本の経済が現在の5〜6倍に上昇していると見られる。この時代は老人が多く、子供が少ない。だから子供は大切にされ、一方、技術主義、物質主義等のレジャーの反動で、出生率は上昇し、子供は「3人」という時代になる。
技術主義、物質主義のハンドーてのがチョット分からないのだが。30年後の今の方がニンゲンのまわりの環境ははるかにワルイ。「コドモつくるのはツミつくり」などとウソブキつつ、DINKSキメこむ層がひろがりつつあるようにも見える。
さて、第一部の結論ネライの対談、大来佐武郎vs.丹下健三両氏の「日本列島」は割愛に値いする内容みたいなので、これでこの本のご紹介はオワリナゴヤとする。呵呵。
大日本ウンコ研究会事務局長・桜井 順