U-MAIL(ウンコ通信) 2002/06/28
えー、ここんとこ、香港のナンヤカヤが話題になっておる。中国と西側とのセメギ合いの場所が、台湾からチョイト香港へシフトしておる感じで。政治当局、反体制者入国拒否、風俗変化と、3本の記事を、例のごとく、ワメ風のテキトームセキニンなマトメにて。
「ヘラ鳥ウォッチング」:06/25〜28
「HONG KONG GETS CABINET APPROVED BY BEIJING」 by THOMAS CRAMPTON
「香港占領・中国万歳」 てなもん。
(香港・発)
5年前、植民地時代のイワユル宗主国、英国が100年間握って来た施政権を、北京が継承した、というか、時代の流れに沿って取り戻し、親中国派財閥の1人、海運会社会長の、董建華氏が「初代行政長官」に就任した。それ以来最大の政治的変化が23日(月)に起きたのだ。
よーするに、北京の息がカカッタ14人のメンバーが、董氏によって「閣僚レヴェル」のポストに就いたのだ。今まではハエヌキの香港人公務員が占めていたポストだ。今まで公務員は犯罪で有罪とならない限りは、解雇されることはなかったが、新規のメンバーは、董氏のユビ1本でクビに出来る。
董氏の批判者たちは、この構成は、香港のデモクラシーの将来を掘り崩すものだ、一般大衆の投票によって選ばれたのではないリーダーの元に権力を集中するのはヨクナイ、と。
批判者たちは、これによって、董氏が、人権擁護活動者連からトンデモナイと反対されておる「破壊活動防止法案」を通すツモリだと。
しかし董氏は、これは新しいレヴェルの公開性と責任性を伴うものだと、ユビキリしてみせたのだが・・・
「HONG KONG BARS ENTRY OF CHINESE-AMERICAN HUMAN RIGHTS ACTIVIST」
by THOMAS CRAMPTON
「今や北京操作香港、とヒトは言う」 てなもん。
(香港・発)
香港入国管理局は、有名な人権活動家、ハリー・ウー氏の入国を拒否した。ウー氏は中国生まれのアメリカ人。
普通、アメリカ市民はヴィザ無しで香港に入国出来るのだが、ウー氏は4月半ばにも、到着時に拘束され追い返されておる。
当局は、個々のケースについてコメントすことは出来ない、法律に従ったまで、と。
アメリカ当局は、これはヤクソクが違う、英国からの移譲に当って、北京は香港の半自治(SEMI-AUTONOMOUS)を、その条件としてミトメたではないか、とカミついた。
ウー氏は以前、中国で政治犯として投獄され、その折の刑務所での強制労動の実態ドキュメントを米国議会などで証言して中国を怒らした経歴を持つ。
「米国市民の入国拒否は、今や香港が完全に中国にコントロールされている証拠だ。中国の言う{1国2制度}はマッカなウソだ」とウー氏。
今回、ウー氏は香港の外国記者クラブでのパネル・ディスカッションに参加するために来たのだった。そこでの議題は、この5年間の香港政府の変化について、だった。
ウー氏は、入国拒否は多分、中国政府のサシガネだ、と考えている。
実は、ウー氏は、1956年ソ連のハンガリー侵入を批判したカドで、19年間、中国強制労動キャンプに拘束されていたのだ。
アメリカに移住してからも、1990年代に何度か中国に戻り、ヒソカに労動キャンプに潜入して虐待の様子をドキュメントした。 *
1995年にウー氏は逮捕され、国家秘密を盗んだカドで有罪となり、直ちに国外追放となった。この釈放という措置は、当時のファースト・レディ、ヒラリー・クリントンの訪中を控えての北京政府のジェスチャーだったと思われるのだが。
ヤレ。これは、天安門同様、中国政府のカサブタ剥がす行為、ヤヤ行き過ぎかも知れぬ。
しかし、こうした「民主的」内部告発を可能にして来た、世界亡命難民受入れ大国アメリカ自体が、オカシクなりつつある現在、「アメリカ国籍」がダンダン「アオイのご紋のインロー」としてのオールマイティを失いつつあるのではというキケンを感じるよ。は。
えー、06/28の「ヘラ鳥」にも同様の記事が出た。チョイと並ベておく。
「HONG KONG DETAINS U.S.ACADEMIC」(AGENCE FRANCE-PRESS)
〜EDITOR OF BOOK ON '89 CRACKDOWN INTERROGATED UPON ARRIVAL〜
「米国のアカ学者を香港に入れるな」 てなもん。
(香港・発)
えー、これはフランスまわりの情報。ウー氏が参加しようとした外国記者クラブでの会合、同じくこれに出席するために来訪したプリンストン大学教授、ペリー・リンク氏が、この水曜日、香港空港で45分間拘束され、訊問された、というもの。
リンク氏は、「天安門報告書」の著者の一人。これは中国反体制運動、天安門事件前後の中国リーダー達の言動を、一種の内部告発資料をモトにまとめ上げたもの。
リンク氏は「今回のことは、中国の{一国二制度}が失敗しているショーコだ」と。
中国側は、あの本は「マッタクのデッチアゲ」で中国を混乱させるのが目的のアメリカのシワザだと。
「HONG KONG'S PIZZAZZ MOVES EAST」 by SUZY MENKES
〜DRESSING DOWN IS IN AS THE GLAMOUR HEADS TO SHANGHAI〜
「香港ジミジミ・キラキラは上海へ」 てなもん。
(香港・発)
ショッピング・モールを歩きまわる、若いカップル。ピタリとしたジーンズにルーズ・トップスというイデタチで、夏のバーゲン・セールのホリダシモノを探しておる。
「流行追っかけるの大好き」と彼女、「でもこの頃はなんでもタカクってさァ」
2人はジーンズに合うバッグを探していた。
かつては、アタマの天辺からアシの先まで、キラキラとブランド物でカタメていたユーカン・マダム族、いわゆるタイ・タイ(太々)連はドコいっちまったのか。パステル・スーツのオフィス・レディ連はドコいっちまったのか。
あのキラキラはもはや香港には無い。みな上海に行っちまったのさ。
ブランド物そろえた店主たちは、今や札束掴んで中国本土からやって来る買い物客にタヨル他ない。一時の日本買い買い客の肩代り。丁度トントンだと。
今や上海はブームブームでまるでニューヨーク、香港はその衛星都市にしか過ぎぬ。
母親達のブランド志向を見て育った若い世代の買物感覚はクールに成熟しておる。
ワメは1970年代末から80年代にかけて、フシギな香港通オジサン、故和久田幸助氏の手引きで、観光ルートとは一味違う香港を何回か体験した。シンガポール同様、旧植民地のタイハイがカモシ出す雰囲気は、ワレワレ「白人モドキ」にとっては、料理と共に、フシギにソソラレるものであったが。
「アノ香港」はもはや永劫に無い。いっそサッパリという感じもするが、植民地独特の西欧型経済で育って来た「香港人」にとっては未来は暗ーいものかも。
中国本土への独占的貿易港としての位置は、上海に奪われ、金融、貿易の手ダレは、みな見切りつけて、どこか他の場所へ逃げ出し、経済指標はすべてダウン、ワカモノは就職難、万事、経済成長に湧く中国本土にタヨラネバナラナイ方向へ持って行かれておる。しかしワメの見るところ。本土のシホン主義ブームは、いずれ遠からずハタンする。東南沿岸地帯と奥地とのギャップがあまりにも大き過ぎる。ナンチャッテ、エラソーに。は。
★ついでに、と言っちゃぁなんだが、「平成唱歌集・巻之一」から「再見香港」をRILLA-RILLAの歌で、ご紹介しておく。中間部、バグパイプ風メロディの中に英国国歌をお聽き取りあれ。は。