U-MAIL(ウンコ通信) 2003/07/16 


時事大評言:

続・続「12歳少年の幼年殺し」

えー、この事件、触れないでおきたかったのだ、当分。しかし。15日の報道で、少年が 《日記》 を書いている、と聞いて、コマッタのだよ。これはマズイ。

接見した弁護士は、何の躊躇も無く、ヘイキで、「日記を書いてる」ようだ、と報告した。それは、少年が「精神鑑定を受ける必要もないほど、正常で、落ち着いている」ことを証明するニュアンスで語られたようだが。

冗談じゃないよ。「日記を書く」ということを「日常的なこと」の中に分類して、ヘイキでいるってのは、マトモじゃないぜ。「日記」から少年の性格や、事件の動機が推測出来るとでも考えているのかよ。ケイサツの捜査の材料になるとでも思っているのかよ。その「日記」を入手しようと、野次馬ジャーナリズムが殺到するのは眼に見えているが、そんなコトじゃ無く、「少年が日記を書く」ことはイロンナ意味でキケンきわまりないのだ。

少数意見になるのかも知れぬが、ワメの危惧をストレートに申し述べる。

少年鑑別所の個室に収容された少年が、「よく眠れないようだが、食欲はある」というのはイイのだが、

「漫画の《ブラック・ジャック》や、歴史書、学習参考書を読んで過ごしている」 

と聞いて、ワメはブッ飛んだ。それってナニサ?

犯人を優遇し過ぎておる、というイミでは無いよ。ただ、少年はこの際、イヤデモ「自分自身」とナマに向き合う必要があるのだよ。「反省」なんていう、今や日光のサルの特許になったコトバは使わない方がイイ。そうじゃなくて、この少年が自分のマワリに作り上げてきた、そしてそれが事件のキッカケ、あるいは補助手段になった(と充分考えられる)「日常的・ヴァーチャル世界」をコワシてやるためだ。

なのに、ナゼ、漫画や本を与えて、ココロの逃げ場を用意してやるのさ。教科書だって、この場合は一種の「日常的・ヴァーチャル世界」の補強物だぜ。そういったモノをスベテ取っ払って、タヨルモノ何もナシで、自分と向き合う時間を作ってやるのが、本道だろうが。相当以上にキツイ条件だが、ホンキで少年に未来を与えるツモリならば。

そして、一番のモンダイは「日記」だよ。少年が、自分に有利になるような心証を、世間に提出するために、ウソを書くオソレがあるってイミじゃないよ、念のため言っとくけどさ。

そうじゃなくて、どんなにマジメにソボクに書いたツモリでも「日記」ってのはフィクションになっちゃうんだよ、必ず。紙の上に「ボク」と書いた瞬間、その「ボク」は自分の分身として、主役として定着し、その先にソレナリのヴァーチャル世界がヒラケて行く。

古老のココロ覚えのためだけのメモ日記なら兎も角、ナマグサ年令のニンゲンの日記は、希望悔恨にミチミチて、「ボク」が「アタシ」が、自己正当化のハテの主役としてノサバル物語となること必定。ツマリ、最高のヴァーチャル世界補強手段。

そのイミで、特に知能指数、文章能力高い少年は、充分にナマグサクなり得る。

ココロの中に書くのならカマワヌ。少年が自分の外側に、物語作り出し、定着させるチャンスは排除しておくベキではないか?

事件を、「自己・家族」を含めた「他人」とのカンケイで抑圧された少年の「ヴァーチャル世界」の中での、一種の補償行動と考えれば、その世界を補強する「日記」はヤバイ。

「日記」は多分、無意識のウソの始まり、ということは正統なブンガクの始まりでもあるのだけど。は。


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