U-MAIL(ウンコ通信) 2003/07/24 


えー、今は「イスラエル」と言う呼び方がオモテムキになって居るが、これは「国家」としての呼称で、ユダヤ、ジュウ、と言うサベツ的な言葉も、時と場所によっては、使われておる。モトモト、イスラエルとユダヤ人、が無条件にイコールと言うワケではないが。

しかし、アメリカ大統領が、プライヴェートには、ジュウを、トコトンサベツして居ったと言うことは、イロイロモンダイだ。個人的な日記の中ではあっても。


「ヘラ鳥ウォッチング」:07/16

「PLAIN SPEAKING ON JEWS, IMMIGRANTS AND UNDERDOGS」

「トルーマンはユダヤ人が大嫌いだった」  ウィリアム・サファイア

(ワシントン・発)

ハリー・トルーマン大統領手書きの、5500字の日記が、何十年の時を経て、つい先頃、ミズーリ州インデペンダンスのトルーマン図書館から発見された。

フシギなことに、3頁が綴じからハズレて、日記の間に挟まれて居ったのだ。

そのモンダイの頁には、先ずこう書かれておる。“ 6:00 P.M.7月21日・月曜日・1947年、ヘンリー・モーゲンソーと、パレスチナのユダヤ人の船について、10分ほど喋る。マーシャル大将に相談すると伝える”

その日、船に乗って、パレスチナへの入国を求めた4500人のユダヤ難民が、英国軍兵士に拘束されたというニュースが世界に流れたのだ。

これらの「強制国外追放」させられた人たちは、3隻の船に分乗して、オモテムキには、近くのサイプラス島に拘留されることになっていた。仲間のユダヤ人たちが待ち設ける「聖地」への入国が許可されるまでの期間。しかし、1000人の子供たちを含む寄る辺無き家族たちは、船上に止め置かれ、白眼視されて来たヨーロッパへと送還されようとしていたのだ。

「ワタシに電話して来たって、知ったことか」とトルーマンは書いておる。

(急死した)前大統領F.D.ルーズベルトの財務長官だったモーゲンソーは、ユダヤ人援護連合会の会長として、これ以上悲惨な事態になるのを防ぐために、トルーマンに電話しなければならなかったのだ。

「ジュウどもは、立場というものをマルデ心得て居らぬ」アタマに来たトルーマンは、電話切った直後の日記に、そう書いた。

「というか、ヤツラは世界情勢を判断出来ない。モーゲンソーは、一時的な居留ということで、多勢のジュウどもをNYに連れ込んだが、結局ソノママ居座りやんけ」

W.W.2直後、多くの難民がNYに庇護されたのだが、これはNY州デューイ知事の政治的含みからのユダヤ人移民援助だと、トルーマンは見ておったのだ。

「落ち目のアメリカで、1946年の選挙を前にした共和党にとって、D(ISPLACED)P(ERSON)=強制国外追放者 の扱いは大モンダイなのだ」

ここで、トルーマンのイライラは、ヨーロッパでのイジメから必死に逃れようとしているこの少数民族へと向かうのだよ。

「ジュウどもは超ワガママだ、とワタシは思う。ヤツラは、エストニア、ラトヴィア、フィンランド、ポーランド、ユーゴスラヴィア、ギリシャ人たちが、DPとして、どんなに沢山殺され、ヒドイ目に遭ってもカマワネェってのかよ。テメエたちだけ特別扱いされてれば。一旦、物質的、金融的、政治的にチカラを持てば、ヒットラーもスターリンも、この負け犬野郎をイジメルことは、もう出来ないってわけだ」

ユダヤ人の残酷さを、ヒットラーやスターリンと較べた挙げ句、トルーマンはその恩知ラズブリに怒りを向ける。

「負け犬野郎を一旦、引き上げてやれば、それはもう、ロシアもジュウもニグロもシホン家も労働者もモルモン教もバプティストも同じことさ。一旦エラクなれば、ムカシのコトなんざ覚えてるもんかネ」

トルーマンはオソマツにも、ヨーロッパの強制追放難民をヒトカラゲにしてしまう。ヒットラーがユダヤ人を「特別扱い」して、600万人をホロコーストしたことなんぞハナから無視だ。住む場所のない生き残りのユダヤ人が、戻ろうとしても、そこはもう、前から住んでる隣人で満パイで、ジュウの帰国は歓迎されない、という状況だったのだが。

日記の中に、被抑圧者の恩知ラズな性質への、長い間にタマッタ癇癪がバクハツする。前大統領夫人エレノア・ルーズベルトへの手紙の中で、トルーマンはこう繰り返す。

「ジュウどもは、ドイツもコイツもミンナ負け犬でっせ。一旦エラクなると、ヤツラはテメエたちが下積みの頃にヤラレタ通りの残酷さを他人に対してヤリ返すんでさ」

こうした根っからの思い込みが、トルーマンをして、アメリカ国内へのユダヤ移民や、英国に対し被追放難民のパレスチナへの帰還許可を求めること、などに反対する政策を採らせたのだろう。

先週、ワシントン・ポスト紙のトップページに、国家公文書が公開された時、多くの歴史学者やリベラル論客たちは、トルーマンの日記のモンダイの記述は、ユダヤ人に対するこうした態度が「受容され得る」時代に書かれたものだ、としてナットクしたようだ。

米国ホロコースト記念館長は、これを「アンチ・セミティズム文化の典型で、当時はそれがフツーだったのだよ」と吐き捨てた。

この何十年、ワタシは、ニクソン大統領の録音テープに残された、ユダヤ人への中傷について、弁明することを拒否して来たのだよ。(サファイア氏はかつてニクソンの演説原稿を作成していた)しかし、トルーマンのこのケースには、モロ、ウロタエテしまうがな。

忘れてはイカン。ハリー・トルーマンなるオトコは、マーシャル国務長官とロシアを押さえ込んで真っ先にイスラエル国家を認めさせたのだよ。ツマリ、トルーマンもニクソンも彼らの個人的なコトバの方が、彼らが実際に採った親イスラエル政策より目立ってしまっておるのだ。

しかし、各年代の負け犬たちは、トルーマンの冷笑的なリクツに反証し、大声で詰問するセキニンが有るだろう。

ワタシは、NY地区の弁護士、ロバート・モーゲンソー氏に、トルーマンの日記のイライラ記述について訊いてみた。彼のコタエ。「ボクはオヤジが、あの電話をかけて良かった、と思ってますよ」


フム。半世紀にワタル歴史上のハナシになってしまったの。大体トルーマンというニンゲンは、自分の命じた「原爆投下により50万のアメリカ兵の生命が救われた」とする「原爆神話」を作り出した張本人だ。

対ソ連強硬路線を敷いて冷戦の原型を作ったのもこのオトコ。全体共産主義のソ連と、自由民主主義のアメリカを並べて、「善」を採るか「悪」を採るか、とセマったのもこのオトコ。誰ヤラにそっくりだが。は。


BACK