U-MAIL(ウンコ通信) 2003/08/01
再啓 鎌倉市長殿 (カマクラ・リポート第3号)
えー、浄明寺地区の「墓地経営許可」モンダイについて。ヤンワリ考えてみたく。
★一方に:
どうしても、ソコに、自分の寺の「墓地」を作りたいヒトが居てはる。
★もう一方に:
その「墓地」で、自分たちの生活環境が危険になる可能性を持つヒトビトが居てはる。
まァ、カンタンに言えば、そうした図式になるのやね。そして、このモンダイは、両方の条件を、並べて較べてみるだけでイイ。ゴチャゴチャ考える必要はない。カンタンだ。
ハナシちょっと飛ぶ。今度のイラクの戦争について、コレは「WAR OF NECESSITY」つまり「ノッピキナラナイ戦争」だったか、「WAR
OF CHOICE」つまり「ヤリタイカラヤッタダ
ケの戦争」だったか? という論議が繰り返された、アメリカ国内でも、国際的にも。
で、目下、大方の意見は、イラク戦争は「WAR OF CHOICE」だったのでは、という結論になりかかっておるわけや。アメリカが自分の都合で、ヤリタカッタだけの戦争だったと。だからイラクがアルカイダとリンクしているとか、キケンな武器をヨウケ持ってるとか、アメリカの並べたリクツが殆どインチキだったとバレてしまった今、問われているのは、アメリカの倫理。
ハナシ戻して。チョット似てるんちゃうか?
正満寺さんが作りたがっておられる「墓地」は、なにも、環境的にキケンの大きい、あの浄明寺のアノ土地にカギルことはないのや。タマタマ、あの土地を持っておったから、というだけやないか。いくらでも他のもっと安全な土地に代替出来るハズや。「GRAVEYARD OF CHOICE」つまり「ココデナクテモイイ墓地」ということ。
一方、周辺の住民にとっては、この土地は「PLACE OF NECESSITY」つまり「ノッピキナラナイ生活場所」でしょうが。
正満寺のご住職は、カマクラ周辺に自宗派の教義をヒロメたいから、と繰り返されるが、これは、アメリカが、イラクにデモクラシーを、というリクツと同じやんけ。そこに住んでるヒトビトにとっては、ナンノカンケイモナイ。ひと目見ただけで、後光射すような御坊様であれば、ハナシはまた別かも知れないが。
その住民の生活をキケンに曝す可能性(その安全性は全く立証されていない)に目ツブッたまんま、そこに自分の寺の檀家の永代墓地をムリヤリ建設するというのは、ホトケの道にソムキませぬか?
キョクタンに言ってしまえば、周辺住民を「被害者」に仕立てる「加害者」の側に立ってしまう。ココには「法律」のナンヤカヤとはマッタク別の次元がガッチリと在って。
ここで問われるのは、宗教者の倫理。
ご住職は、先日来、繰り返し「これは営利事業ではない、私の積年の望み、鎌倉に布教活動を広げたいという聖職者の信念である」という趣旨を強調されました。
ならば。たとえ経済的負担は増えても、この計画を、鎌倉の中でも、もっとキケンの少ない土地に移すことは当然出来るはず。それを、「保健所の許可」をタテに、住民の感情に真っ向からサカラってまで、モンダイの地域に墓地「建設工事」を強行されるとすれば。
これは、延々十七代にわたって引き継いで来られた名刹の「徳性」を自らドブに捨てる所業ではアリマセヌカ。
いや、ワタクシメとしたことが、つい「坊主に説教」をヤラカシテしまいました。呵呵。
ハナシちょっと変わりまする。「憲法9条」でさえ、改正が云々される今日。
元来、「法律」の根拠は、「六法全書」の中には在りませぬ。「法の精神」は国民ヒトリヒトリの生活の実態の中に在る、というのが現代の黙契であります。
お役所は、その機能の性質上、「慣行第一」主義。ツマリ条令・条文のウシロに在る本来のイミを、その成立時点に立ち戻って忖度・考慮することなど、先ず有りませぬ。すべてコトナカレ主義。ために、シバシバ、行政上、ひどくアンバランスな裁定・施行が生じるコトになるので。
ズバリ、その最適例がココに在るわけ。ワレワレの現代生活の中で、「保健所」が「墓地経営」の許可権限を持っていることのフシギ・不可解。それを、関係者のドナタもフシギと感じないフシギ。
出来るだけカンタンに、ご説明申し上げる。
「墓地・埋葬等」に関する法律は、それぞれの地方市町村によって、その施行規則にコマカイチガイはあるが、そのオオモトは。
明治44年(1911)に制定された法律が、昭和23年(1948)に改訂され、ソノママ、ズーっと今に至っている。ナント半世紀以上ムカシの法律なのだよ。
当然、その法律の根拠には、現代生活にアテハマラナイ部分が沢山ある。たとえば。
「火葬を行なう時は、死体の焼け尽くすまで、看守人を付さなければならない」という1条が見られる。
これは火事になるオソレからでは無い、モチロン。つまり、「完全に衛生無害な状態になったかどうか見届けよ」というイミ。
ワタクシメにもハッキリ記憶がある。3月10日の東京大空襲、その後の疎開先の町でも空襲を受けて、翌朝、大量の遺体の間を抜けて歩いた。焼死体といっても、状態はサマザマで、もう一度荼毘に付さねばならない。ところが当時、この大量の遺体を焼くための燃料など充分に有るワケが無い。当然、不完全な焼却の中からホネを拾って埋葬するしかなかったのだよ。この状態は万事物資不足の戦後、しばらく続いたのだ。「昭和23年」は未だその延長上に在ったわけ。現代の焼き場のカンペキな設備による高温焼却しかご存じない世代にはソーゾーもつかないだろうけど。
オワカリ頂けたか? つまり、遺体焼却が完全に衛生的な保証にツナガラナイ時代には、墓地埋葬に関しても、周辺の衛生に充分な配慮・検査が必要とされたのだ。だからこそ、所轄「保健所」が「墓地経営」について許可を与える主管官庁だったのだよ。
それから、半世紀以上経った今。社会の様変わりはスゴイ。遺体の焼却後の衛生について心配するヒトなど居ない。遺灰を海に撒くことさえ許されておる。
なのに。旧態依然。「墓地経営」の許可は、「保健所」の権限になったマンマ。それが「お役所」と言ってしまえばソレマデだが、ソレマデ、と放って置くワケには行かぬ。
ヨック考えてみて下され。新規の「墓地建設」が周辺に与える影響について。
「自然環境=居住環境」への配慮、「交通環境=渋滞・事故」への配慮の方が、「衛生」への配慮よりハルカに重要であることは、誰の目にも、アタリマエダのコンコンチキの社会常識。
なのに、市長さまが 、「保健所」に 「自然環境の保全に努めてイタダキタイ」だの「交通整理等の配慮をオネガイシタイ」だのと、要望すると言う、このアンバランスな構造ってイッタイ何サ?
本日はココマデ。アンマリ書き続けると、アタマの中の舌がモツレてしまう。ワメももはやロージンでありますのじゃ。で、マトメレば、今回の主要論点は2ツ。
★正満寺さんの「墓地建設」は、その宗教上の信念から考えても、あのキケンな地域にコダワル理由は無いハズ。
★「墓地経営」の許可権をイマドキ、「保健所」が持っていることのフシギ。遺骨埋葬の「衛生面」よりも、「自然環境」とか「交通環境」など、周辺市民の「生活環境」への配慮が先行するのが常識。この行政上のアンバランスの改正を考え、実行して頂きたい。早急に。
さて。このモンダイについての、当サイトへのアクセスは、FAX、電話、も含め、かなりイロイロ。
テレビ関係者、評論家、モノ書き、音楽家、ワカモノ、単なる野次馬などなど。
相当カゲキな戦闘的応援から、地道なアドヴァイスまで、幅は広い。
近日中に、これを整理分類し、またこのサイト上で、市長殿までお届け申し上げる所存。
向暑の折りから、お身体くれぐれも御自愛頂きたく。草々。
2003/08/01
鎌倉市住民 桜井 順