U-MAIL(ウンコ通信) 2003/08/10 


えー、訃報から。参議院議員、というよりワタクシメにとっては、想い出の「歌手」であった、沢たまき サンが急死された。

47、8年ムカシになるか、多分ワメがまだサラリーマンとのフタマタかけて、三木鶏郎氏の「冗談工房」に出入りしていた頃。たしか初夏、九段の中央線土手沿い、桜並木の一角に在った「冗談工房」のスタジオ入り口に、ノースリーヴシャツにジーンズ、素足にサンダル突っ掛けた、スッピンのボーイッシュ・ギャルが颯爽とアラワレた。ブッキラボーに「サワです」と名乗り、丁度そこに居合わせたワメが、2階の事務所に昇るよう指示したようなオボエがある。

それが当時オソラクまだ18、9才の沢たまきサン。鶏郎先生のラジオ・テレビ番組出演の、あるいはコマソン歌唱の打ち合せだったかも。当時売出しのフレッシュ・タレントとしてラ・テ界に君臨する三木鶏郎氏からお呼びがカカッタのだろう。

ワメ自身としては、60年代から70年代にかけて何回か一緒のシゴトした筈だが、ハッキリ記憶にあるのは、「マドモアゼル」という女性誌の創刊号にワメが「ボンジュール・マドモアゼル」なる、シャンソン風PRソングを作詞・作曲した時に、沢サンに歌ってもらったこと。

PR用と言っても、当時は未だ、それをテレビで流すというシカケにはツナガラず、CDならぬ「ソノシート」盤を折り込みフロクとして付けただけ。(もしかするとラジオには流れたかも知れない)

歌詞はサダカには憶えて居らぬ。ハーフ・ハスキーな魅力に充ちた彼女の声とメロディだけはアタマに明確に残って居る。ソノシートはドコカに消えてしまった。 合掌。


こうしたコトがキッカケで、ナンヤカヤ、ムカシのコトなど想い出され。

「フリカエルナ、老&老」の自戒がホドケてきてしまうのだよ。

「歴史カンカク・ノッペラボー」のヤング世代には、ヒトカラゲの「ムカシのハナシ」に過ぎないが、「大トーア戦争」「ヒロシマ」「終戦」「GHQ」にマッスグ続く線上に、三木鶏郎氏の「日曜娯楽版」というNHKの風刺コント付き音楽番組(音楽付き風刺コント番組?)が在り、その番組を作っていたのが 「冗談工房」だったので。この工房の中から、野坂昭如、永六輔、いずみ・たく、などというシタタカな連中が世の中に流れ出すのだよ。五木寛之氏もそのヒトリという巷間説は誤り。氏は関係ナイ。そのうち詳しく。


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