U-MAIL(ウンコ通信) 2004/06/14 


続々・「ワメ的大評論」 〜A少女殺人事件〜

えー、どうも、このハナシは、ワメの中にイロイロなモノを触発する。「犯罪」と見做すとしても、従来からの類型要素と、突然変異型要素が頒かち難く一体化しておる。突然変異とは、トドノツマリ、「インタネット」なるIT装置が、持ち込んだナンヤカヤだよ。

この装置によって、ハナシが、「犯罪」の世界から、「テツガク」の世界にズレ込むのやねん。これをテッテ的に追究するだけのインテリジェンスを、「ケイサツ」に期待できるか?

このところ、目に見えてガクンとパワー落ちたワメの思考能力では、このハナシをキチンと分析・統合するのは先ずムリや。横丁の野次馬ジジイの、無責任コメントとして受け取って下され。思いつくまま、感じるまま、論証次元もバラバラの大風呂敷やねん。

ただし、これはワレワレの暮らしている社会で起きた、ヒトツの典型として扱うので、実際のカンケイ者の、喜怒哀楽感情は、敢えて無視することだけ、ノッケにお断わりしておきまする。


* 「動機」と「行為」の逆転

ケイサツ式思考方法では、憎しみとか、怒りとか、感情的な「動機」が先ず有って、それが次第に増幅され、ある臨界値を超えた時点で、「行為」にツナガった、と判断するのがフツー。

しかし、どうだろう、A少女のケースでは、「殺人」という「目的」が先に有ったとしか思えない。「悪口言われた」「サイトを書き替えられた」などと言うのは、「目的」を正当化するための「口実」としての「動機」とちゃうんか?意識的かどうかは別にして。

A少女の「行為」には日常的な「動機」など不必要だったのや。

A少女が、「突く」か、「絞める」か、「切る」か、前以て「手段の選択」をしたことは、ハナから「殺人」が目的であり、それは「復讐」とか「意趣返し」といった「感情」とはカンケイない「行為」、一種サメた、「純粋行為」だったことの「証拠」ではないか?

ただ、そこに、一般の意味での「意志」がハタライていたかどうか。その判断はペンディング。その主体となった少女の「人格」が定義出来ないからだよ。

そしてフタリは「親友」だったのに、などという周囲の反応、メディアの報道は全くナンセンス。

「インタネット」「ケイタイ」などの「装置」は「トモダチカンケイ」を保証するモノではなく、「トモダチカンケイ」を粉飾する道具やねん。

「観護措置」に置かれているA少女は、B少女への気持ちを、こう述べたそうだ。

「チャットや手紙ではなく、会ってアヤマリタイ」

「インタネット」呪縛から一旦外れれば、B少女とのカンケイはフツーの「トモダチ」に戻るわけだ。「感情」が先立つ世界が回復されるわけやねん。では「インタネット呪縛」ってナニ?


* 「インタネット装置」に「棲み込まれた」 A少女。

モンダイはココにあるのや。これはA少女だけではない。IT装置とワレワレのカカワリ方の原点。油断もスキもならないのや。

ワレワレは「インタネット」をテメエの外部に在る「道具・トゥール」として、「能動的」に利用しているツモリでいる。確かにベンリな「道具」にはチガイない。

インタネットのサイトを利用して、他人をダマシて、詐欺、レイプ、あるいは心中したりする「犯罪」も、「インタネット犯罪」には違いないが、それはあくまで、犯人が意識的に、自分の「道具」として、「能動的」に利用したケース。インタネットが功利的に機能したわけで、これは「類型」の世界であり、それほどシンパイすることは無い。

A少女のケースは、「道具」として「インタネット」に関わっている中に、イツノマニカ、「自分の内部に棲み込まれ」てしまったのだよ。ヒラタク言えば、「インタネット」が自分の一部分として「肉化」し、自分が「インタネット」の一部分として、「物化」してしまったのだよ。イツノマニカ、一種「受け身」になってしまったわけだ。

現代、「心臓ペースメーカー」「補聴器」など「道具・装置」を自分の体内に埋め込んだニンゲンはゴマンと居てはる。しかし、それは身体の内部に装着されていても、機能的には「外部的道具・装置」。それが「人格」に関わったりはしない。

一方、「インタネット世界」は「指」を通じて「脳」に棲み込むのや。当然、「人格」に影響及ぼす。これがコワイ。ヒジョーにコワイ。ついでに言っとけば、これは他の感覚をほとんど捨象した「視覚偏重」の世界。聴覚、触覚、味覚などと異なり、フィードバックの無い、一方的な感覚である「視覚」が圧倒的主役となる世界は、アンバランスな、ビョー的世界なのだよ、実は。

つまり、今回、「行為」の主体となったのは、「A少女」ではなく、「インタネット・サイボーグ・A少女」なのだよ。これは「A少女」とは別人格。どんな人格なのか?


* 「インタネット」に「ハマル」とはどう言うことか?

たとえば、楽器。ただ「習いごと」としてピアノやヴァイオリンを演奏している段階では、「楽器」が自分の内部に「棲み込む」ことはない。しかし、それが「生き甲斐」になるとか、あるいは「プロフェッショナル」な水準に達すれば、「楽器」は演奏家の肉体の延長部分となり、存在的に「一体化」する。

たとえば、それは、銃器に置き換えても、同じことだ。職業的な射撃手となれば、軍人でも、殺し屋でも、銃は肉体の一部となり、存在的に「一体化」するのや。

ムカシは「耽溺」なるコトバが有ったが。俗に「ハマル」と言うのは、つまり、そう言うこと。楽器や銃器の名手は、その「一体化」によって、本人の性格とは別次元の、ある種の「人格」を形成する。その人格を他人は「ゲージツ家」「達人」などと呼んだりするわけや。つまり、その「人格」は社会で「公認」されるのだよ。

しかし、「インタネット」と言う「IT機器」に「ハマった」場合は、これとはチョイとワケがチガウのやねん。ナンボその操作に熟達しても、こうした「機器」には、人格を統合し、別次元へ押し上げる求心的要素は無いのだよ。

多分それは、「楽器」や「銃器」が具体的・アナログ世界のモノであるのに較べ、「IT機器」は抽象的・デジタル世界のモノであるためだろう。

「楽器」や「銃器」の世界で積み上げたナンヤカヤは、多少の上昇・下降が生じることはあっても、一度に目盛りゼロまで崩壊することはない。

しかし、「IT機器」世界のナンヤカヤは、ON−OFFスイッチヒトツで、瞬時に「ゼロ化」するのや。つまり、「機器」と合体した「人格」は瞬時に崩壊・解体するのだよ。

ここで、ハナシ飛ばす。

A少女の行動に多数の?????が向けられる一方で、B少女の行動に対しての???が少ないのはナゼか?ここにヒトツの「盲点」がある、とワメは思うのや。

A少女に「学習ルーム」に連込まれたB少女。A少女がカーテンを閉め、椅子に座らされる。タオルで目隠しされそうになったが、それは拒否する。A少女がウシロから手で目隠しをして、「凶行」に及ぶ。

この間の、B少女の反応が腑に落ちないのだよ。最初からカッターナイフで脅迫され、部屋に連れ込まれた、と言うのではないようだ。とすると、B少女は、ナニを予想していたのか?

A少女に、ナニかを「される」予感は、あったのではないか。つまり、「インタネット」の中でのフタリの「バトル・ゲーム」の結着に向かっている、という予感はあったのではないか?

本来なら、「インタネット」世界の「内部」で続けられる筈の、一種のロール・プレイ。そのゲームでの自分の役柄について、多分B少女にはバクゼンとした予感しか無かったが、A少女には確固たるイメージがあった。「学習ルーム」に入って椅子に座らせられた時点で、催眠術にかかったように、B少女は与えられた役柄に従ってしまったのでは?正面から向き合うのではなく、ウシロに立つ、のは役柄カンケイを象徴しとるんちゃうか?


* 主役:A少女、司祭者。
  相手役:B少女、犠牲者、イケニエ。

つまり、これは「処刑」の「儀式」だったと考えれば、この「殺人」の構図が見えて来るのだよ。俗に言う「黒ミサ」の世界に似た構図。

A少女とB少女は、対立して「決闘」「果たし合い」をしたのではなく、互いの思惑が大きく食い違った「ロール・プレイ」に参加したのだよ。特にB少女の場合はまるで納得しないまま。

この場合「インタネット」へのハマリ方の強い方が、能動者、弱い方が受動者になった、と言えるかも。根本的には立場逆転可能なロール・プレイ。

ここで、もう一回、ハナシ飛ばす。


* コドモは「足し算」でオトナになるのではない。「引き算」でオトナになるのだよ。

たとえば、こうした「司祭者」役を担保するもの、ソレハナニカ、と言えば、コドモの内部にある「全能感」。コドモは「全能者」として生まれて来る、と言うダイジな仮説。

オトナは好んで、コドモ時代の想い出を語るくせに、実は、コドモとしての記憶を、殆ど失っているのだよ。

コドモの「エゴ」はオトナの「エゴ」などとは比較出来ないほど、強い。ヨロシイか、考えて見れば、理屈上、生まれたてのコドモの、人生可能性は「100%」。何にでもなれるし、何でも出来る。

モチロン、そんなコトをコドモがハッキリ自覚しているわけではない。しかし、本能的にウスウス感付いては居るのやで。

コドモの記憶を失くしたオトナは、「コドモは不完全な生キモノ。オトナが知識を与え、指導し、経験を積ませることによって、はじめてイッチョ前のオトナになる」とホンキで考えているフシがある。つまり、コドモは「足し算」でオトナになると錯覚しとるのや。
これが大マチガイのコンコンチキなのだよ。

真実は、100%の「全能者」として生まれ付いたコドモは、日々の生活の中で、オトナの干渉によって、その可能性をドンドン剥ぎ奪られて行くのや。「教育」「矯正」「賞罰」などという名の干渉によって。で、コドモは次第にアキラメに浸されて、「無害」なオトナのレプリカになって行くのやで。つまり、コドモは「引き算」でオトナに落ちぶれて行くのだよ。俗に言う、オトナはコドモの成れの果て、というのは真実なんよ。

ここでハナシは、A少女に戻る。

「インタネット」という仕掛けは、それに「ハマった」ニンゲンに、「全能感」「主役」の世界を保証するのだよ。すでにオノレの「エゴ」を100%アキラメたフツーのオトナにとっては単なる通信機能を果たす「IT機器」に過ぎないシロモノが、「全能感」を剥奪されつつあるコドモにとっては、オノレの「エゴ」を守るための、絶好の反抗の「武器」、自己確認のための貴重な「ヨリシロ」となる。

一般にHPとは、特定周辺のトモダチへの通信というカタチを取りつつ、実はそれが、不特定多数の未知の相手に公開され、それが本人の「エゴ拡張」を保証すると言うシカケなのだよ。「自己顕示」欲を満たす劇場、と言うより、「エゴ」をトメドナク拡張するシカケ、と言った方が正確なのや。

てなことで、大体の「見取り図」はご了解頂けたんちゃうか?これは、「犯罪」と言うより、「1人称の範囲」をめぐっての、「テツガク」のモンダイなんよ。

で、ここで、現実の次元に戻る。A少女が、現実の社会の中で、今、置かれている状況。


* A少女は、家庭裁判所長崎支部に送致された。

* 其処で、2週間の「観護措置」の決定を受けた後。

* 長崎「少年鑑別所」に収容された。

* 14才未満のため、「観護措置」は最長で4週間。家裁は調査官の報告に基き、審判を開くかどうか判断する。

* 審判で「非行事実」が認められれば、児童自立支援施設への入所などの「保護処分」が決まる。

* ただし、「付添人」(弁護士)が「精神鑑定」を申請し、家裁が認めれば「鑑定留置」が始まり、「観護措置」は一時中断する。

* 専門家が、事件当時の精神状態を分析し、診断名を付けた「鑑定書」と「処分」についての「意見」も添えて、家裁に提出する。


ヤヤコシ。この役所の煩瑣な手続きの中で、A少女についての、何等かの「真実」がアキラカになると思うかい?これらはスベテ、役所の内側の「事情」であって、A少女には何のカンケイもない。役所には役所独特のコトバ遣いと、どーしようも無く硬直した習性があるのやで。

ここで、先ずモンダイになるのは、「鑑」の一字やねん。「鑑」てナニ?

「鑑」(千字源)

* 物体の象をうつす鏡
* みわける(観察)
* 考える(考察)
* いましめ、古今の成敗を観て法戒となす
* のり(法)模範・手本とする

フム、フム。ここには「うつす・観察する」という水平関係と、「戒める」「手本とする」という上下関係が混在しておるのや。

「鑑別」とはヒヨコの雄雌に始まって、モノを2ツに分けることや。「白」か「黒」か。「精神鑑定」も同じこと、「正常」か「異常」か、2ツにヒトツ。

ここに2ツのモンダイが在るのや。

ヒトツは、「白」でも「黒」でもない「グレーゾーン」の余地を認めないこと。

もヒトツは、その結着に向かって、上部からの「強制力」がハタラクことや、否応無く。役所としてはスベテの「案件」に対して「決定」「結論」を出さねばナラヌ。それがダイジ。そこでは「A少女」は「案件」を構成する要素でしかないのだよ。

ヨロシイか、こういったセッツイた状況下で、この「事件」の柔軟な判断が可能と思うかい?こうした性格の事件を、将来・未来の見通しと併せて判断し、的確な対処が出来ると思うかい?

こういった「鑑別」とか「鑑定」と謂ったコトバの「磁場」には、上方からの矢印(ヴェクトル)がゴマンと突き刺さっておるのやで。

そしてA少女のケースに代表される、一種の「社会的チック症状」は、根本的には、こうした矢印への無意識的反撥なのだよ。ワメも「社会的チック患者」だからワカルのや。

シツコク同意語反復的に言えば、「親・学校の教育方針」「鑑別・鑑定」は、「君が代」「国旗」とピッタンコ同質なのや。「天皇制」「政治形態」といった中味にカンケイなく、上方からの「矢印」、「権圧力」としてピッタンコ同質と言うことなんよ。

で、「社会的チック症状」の原因を、別の方向から探れば、こういうことが言えるのや。


* 現代人の生活環境は、ブロイラー式、これがスベテのモンダイの大分母。

今の今、オヌシもワメも、そしてA少女も、すべての「ニワトリニンゲン」がブチ込まれて居るのは、「均質空間・均質時間」の巨大ケージ。持ち主のカオは見えぬ。合い言葉は「効率」。「効率」に沿って「空間」と「時間」は換算可能。究極は「ナノ・セコンド」換算。ヒトはこれを「末期シホン主義世界」とか呼ぶ。「五劫のスリキレ」と嘆いてもヨロシイのやねん。

この中で、ニワトリニンゲンは、「今のアタシは仮のアタシ」と考えたがり、「ホントのアタシを探したい」などとタワケタ望みを抱くのや。と言っても、アタシ探しの困難な旅に出ようとはせず、ゴマンと展示販売されている既成のキャラの中から、アレとか、コレとか、ソレとかを、「択ぶ」だけ。結果としては、「均質人間」がゾロゾロと蠢くだけ。

巨大ケージの内部では、否応無く、「イジメ」「サベツ」による仲間殺しが起きる。これは、巨大ケージの必然的随伴現象で、「カニバリズム」と呼ばれ、その死亡数は、最初から「効率」の中にマイナス数字として折り込み済み。超マクロ的には、ヤマトンチュ種族内の「A少女事件」も、キリスト教西欧内の「アウシュヴィッツ」も、この現象の一例と考えるっきゃないのだよ。「ホロコースト」は巨大クリスチャン・ケージの中での「カニバリズム」の別名と言ってもええんちゃうか?


いやいや、調子に乗って、ホザイタ、ホザイタ。でも、どうだろう、ワメのエキセントリック大風呂敷、多少はアタッテいる部分もあるんちゃいまっか?

非常に具体的なことを、最後にヒトツ申しあげれば。A少女について、弁護側は「精神鑑定」の要請を出したと言う。それが、どう言う方法で実行されるのか?それが気になってしょーがない。お節介なことだが。

これは想像だが、当然、ヒトツの柱は家族・血統の「DNA調査」だろう。

精神病は当の「家族」全体に潜在する因子によるものであり、それが、その中のヒトリに発症するのだ、という、いわゆる「黒い羊」学説もあるのやで。

そして、もうヒトツは、当然、A少女個人への「聞き取り」作業だろう。生い立ちから、家族カンケイ、友人カンケイ、趣味、読書歴、その他、たった12年間のナンヤカヤ、洗い浚い。

ここで、ワメのトーシロ意見は、A少女を「インタネット・サイボーグ・少女」の状態に一旦戻して、その「人格」相手に、犯行前後時間のナンヤカヤの「聞き取り」を行なうべきではないか?というモノ。実行ムズカシイ方法だろうけど。

「棲みこまれた」インタネットを除去したA少女は、この事件に関しては、イワバ「局外者」なのだよ。周囲の「反省しなさい」とか「B少女の冥福を祈りなさい」といった命令・指図に、ボーゼンと従うしかない、無力な12才の少女が、ポツンと其処に居るだけやねん。「全能少女」と「無力少女」の重なり。一瞬、それがズレたところに、A少女の「真実」が透けて見えると言うか。

この見方は、「統合失調」つまり従来の「分裂症」扱い、に似てはいるが、実質はチョイと違う。人格が、DNA因子によって複数に分裂するのではなくて、存在内部に入り込んだ「機器・装置」によって、「拡張・変質」された、と見るのだよ。

「インタネット」による、送り手の人格の「拡張・変質」は、ワメもこのところ、深ーく体験して居るのだよ。例えばこの「U−MAIL」での「ワメ」なる一人称も、テメエの人格の一種のフィクションなのだよ。「だよ」「ちゃうか」「なのやねん」などと言う、エセ訛り語尾にしても、フィクションの小道具なのや。

「うぜークラスつーか私のいるクラスうざってー」「高慢でジコマンなデブスや」「喧嘩売ってきて買ったら《ごめん》とか言って謝るヘタレや」などと言う、A少女の、インタネットの中での1人称コトバ遣いの、粗暴さは、カタカナの乱用も含め、ワメのコトバ遣いとピッタンコやんけ。

スベテ、「インタネット」通じての「エゴ」拡大の方法。「不特定社会」に対して「主役」を演じるテクダなのだよ。それが時として、現実生活の中に「漏れ」出すことはあっても。

たとえば「インタネット」外の、「佐世保独楽を回して」と題された学校教室内での作文の中では、A少女のコトバ遣いは、綿密で、正常。自己諧謔のブンガク的テクダさえ読み取れる。

「インタネット」の中でも、「3人称」的に書かれた「バトル・ロワイヤル〜囁き〜」では、激しい描写はあっても、極めて客観的で、粗暴なコトバ遣いは見当らない。

こうした、A少女のコトバの使い分け、などもコマカク検証して、「インタネット」への依存度を丁寧に確かめて行く必要大アリなのだよ。

ワメはA少女を「弁護」しようというのではないのだよ。ただ、硬直した司法枠内では、「シンジツ」を捉え損ねるのでは、と余計なシンパイしてるのだよ。

モヒトツ、ホントのこと言えば、ワメのイイ歳コイテの、この「U−MAIL」も、恣意的な活動ではない。剣ケ峰での必死の「防禦」なのだよ。

ワメ等は、朝から晩まで真夜中まで、四方八方のメディアからの「ガラクタ情報」にビッシリ包囲されて居るのや。100%の「受け身」。これを防ぐには、ササヤカなりとも、コチラ側からも、情報を「アウトプット」せねばならぬ。テキの「飛角情報」のアタマに取り敢えず「歩」を張る、ということやねん。

「エゴ」の「防禦」のための「インタネット」と言う点では、ワメとA少女のスタンスはほとんど同じなのかも。

えー、本日はコレニテ。


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