U-MAIL(ウンコ通信) 2004/07/01-2
「鎌倉大革命」第18報
拝啓:石渡徳一鎌倉市長殿
えー、東京・高輪・正満寺殿が、住民の反対押し切って、強引に造成・完成された「やすらぎの杜」に関して。
前回は、当該崖地の、イロイロな具体的「危険」の可能性を検証致しました。
で、今回は、「BELIEVE OR NOT」あの崖地にまつわる様々の、不吉不安なウワサについての情報公開に踏み切りまする。
これは地元一帯に、ムカシから流れている怖いウワサ。正満寺ご住職殿も、ある程度実感されているのでは?その理由は後に述べるとして。
マルデこの世の極楽絵図、公園墓地「やすらぎの杜」大売出しパンフレット眺めただけのミナサマにはナンノコトヤラでありましょうが。
地元住民の間に流れて居る不吉不安なウワサを並べてみると。
1)地元の古老Kサンは、あの崖地に踏み込むことを、今まで極力避けて来られたのや。昨年5、6月、あの崖地上の現場で、住民と寺側の話し合いが行なわれた時、出席したワレワレは、Kサンの不審な挙動に気付いたのだよ。
あの急坂昇って、住民が椅子を並べて準備した話し合いの現場に入る時、Kサンは、常に前以て、手を合わせ丁寧に、何事か祈って居られたのや。
あまり話したがらないKサンに伺ったハナシでは。
この地に長く棲んで来られたKサンは、先祖代々の言い伝えで、あの崖上には近づくな、足踏み入れるなと教えられてきた、と。
何時ごろのことやら、ハッキリした古文書記録などは無い伝承だけれど、あの崖上には「お女郎サンが身投げした池がある」と聞かされていた、と。その池が、あの崖地を水害から守って来た雨水「調整池」だったのかどうかは、不明だが。
2)県道から「犬懸橋」渡ったこの辺りには、犬を飼っている家庭が多い。夕刻にあの近所の狭隘道路歩くと、犬を散歩させている飼い主がゴマンと居てはる。ココロ暖まる平和な情景のヒトトキや。
その何人かの証言。たまたま犬を連れて、あの無人の崖上に昇ったことがある。犬は大喜びで、綱引っ張って、その辺を走り回るのだが、「とある一点」に来ると、途端に足を突っ張り、その先には死んでも行かない、という動作を示した。何回かの散歩で、いつも同じ現象が起きた、と。
「いやァねェ、アソコには何か埋まっているのかしら」と一人は仰有ったのや。
3)次は、正満寺ご住職ご自身が証人。
昨2003年9月13日。鎌倉浄明寺会館での、寺、業者、と住民との話し合いの席上。一部始終を、ばばこういち氏がヴィディオに収められた。それを巻き戻すと。
「なぜ、択りに択って、こんな危険な崖地に墓地を作るのか?」との住民からの質問に対して、「とにかく業者が、墓地に出来ると請け合ったので買ったまでだ。」と、業者にスベテの責任なすりつけた、名刹・東京・高輪・正満寺第17代住職、樹谷淳宣氏は、ナニ思ってか、突然、説教を始められたのや。
「お寺がどうとか言うけれど、イイデスカ、なにしろニンゲンは死ぬんです、サイゴには。死ぬことが大事なんだ。死が無い仏教なんて無い。みんな死ぬからね。そこに不安があるわけだ。」
ソレハソウダ。で、その後、お墓の必要性について、いかなる高邁な真理が展開されるのかと、待ち承けたワレワレ衆生の目の前で、なんと説教は尻切れトンボになってしまったのや。
「そして墓とかなんとか言っても・・・なんてのかな・・・上手く説明できないけど・・・ミナサン死ぬんです、こう言っちゃワルイけど、必ず死にます。ある日突然来ます。今元気でもわからない。明日参るかも知れない・・・」ナンダコレハ。
そしてハナシは急転して、御自分の急病の経験談へと向かってしまったのだよ。
「ボク自身がそうなんだ。鎌倉に墓地の下見に来て、帰って倒れたんだよ、その日に。」怖イ話デハナイカ。高僧ト雖モ、油断デキナイノガ「土地霊」ノ「瘴気」。
聞けば、相当に重篤なご病状だったらしい。大事に至らなくてナニヨリだった。
4)ソモソモ、このモンダイの崖地は、戦後、昭和29年の「造船疑獄」の発端、「森脇メモ」で有名になった政商、というか金貸し、森脇将光氏の所有地だった。疑獄に連座して破産した森脇氏のこの土地は、東京都、大蔵省などの「差し押え物件」となって、以後、競買、転売を繰り返してきたイワクツキの土地なのだよ。こうした一種翳りある物件を、知ってか知らずしてか、十数年前、「業者」にススメラレて、正満寺殿がお買い上げになったわけや。
まァ、ソンナコンナで、地元のウワサ通り、あの崖地には、イワユル「地霊」と言うか、「瘴気ノゴトキモノ」が漂って居るらしいのだ。ただ、地元住民は、そういったモノと折り合っていると言うか、共存して来たと言うか、日常的には支障なく暮らして来たのや。
しかし、その場所に、外部からの介入者がナンヤカヤ変形を加えれば、眠っていた「怨念」が、活性化することは、充分に考えられる。従来、日本の寺社の多くは、そうしたモロモロを抑え込むために建立されて居ることはミナサマご存知の通り。そうした「怨念」を封じ込め、逆にそのエネルギー籍りて、統治力を強化する、と言うのが、イニシエの施政者の常套手段だったのや。単なる「鎮魂」だけではないのだよ。
前に申し述べた通り、殺伐な鎌倉の歴史には一族鏖殺された例が多く、それにまつわる怨念の伝説は数限りなくある。
例えば、浄明寺から金沢街道(国道)を鎌倉駅の方へ向かって、横大路と小町大路の交差点にある「宝戒寺」は、後醍醐天皇が、足利氏に鏖殺された北条一族の怨念を鎮めるためと称して建立された寺だ。ちょっと離れた山の上には有名な「北条高時腹切りヤグラ」もある。
さらに歴史を遡って、北条一族に鏖殺された和田一族の怨霊を祀った由比が浜近くの「和田塚」周辺の「瘴気」を言い立てる人も、ようけ居てはる。
実はこの場所の「瘴気」は、ワメ自身も体験したのやで。15年ほどムカシ、ある晴れた初夏の真っ昼間、「和田塚」近くの明るい道路を、海の方へ歩いていた。他に通行人の影は無かった。予感もナニも無かった。突然、背筋が引っ張られるようにコワバり、ツメタイモノが走ったのだよ。たった一瞬だったが、一種の深ーい「怯え」を感じたのや。
ムリもない、その後、1997年の発掘によって、この周辺から3000個の人骨が出土して居るのや。或るものは頭骨だけだったそうな。1213年頃、鏖殺された和田一族の遺体は、由比が浜で首実検が行なわれ、用済みになった首が穴に投げ込まれたと推察されて居るのや。
そして浄明寺の当該地区は、と言えば。「やすらぎの杜」入口急坂下の四辻に立っている黒っぽい石碑をご存知だろうか?「上杉朝宗及氏憲邸阯」と読める。これはナニか?
ハナシ端折って説明する。尊氏を初代とする足利政権は、京都を「本社」として、鎌倉に「支社」を設けたのや。足利基氏を初代とする、いわゆる「鎌倉公坊」。これに「執事」役として、関東一帯の実力者、上杉一族を「関東管領」として配した。
鎌倉の上杉一族は四家。山内上杉、扇谷上杉、宅間上杉、犬懸上杉。左様、後の上杉謙信の祖先。戦国時代の先駆け、「関東管領」は、それぞれ天下への野心を抱いていた。
そんなこんなで、初代朝宗に続く犬懸上杉家の二代目、上杉氏憲は、四代目鎌倉公方、足利持氏を襲ったのだが、破れて自害し、犬懸上杉氏一家は滅亡したのだよ。俗に「禅秀の乱」と呼ばれる失敗クーデタやねん。西暦で言えば、1416年の出来事や。
お分りだろう。「犬懸橋」を渡って、「やすらぎの杜」に至る細道奥の四辻付近一帯は、ムカシから、犬懸上杉氏憲の怨念の地なのだよ。怨霊の出没があってもフシギではない。前述した通り、地元には「出た」というウワサがムカシから、アチコチに在るのやねん。ただ、前述した通り、地元は長年、ソレと「折り合って」平穏に暮らして来たのや。
「やすらぎの杜」造成に当たっては、当然「地鎮祭」が執り行われたと思うが、ナマジッカな鎮魂では、鎌倉の荒ぶる霊魂は修まる筈も無いのやで。
そして。この墓地造成の過程で、ワメの腑に落ちないコトがヒトツある。
ノッケに工事担当会社から住民に一方的に通達された「工事日程、工事方法」の説明では、崖上の土壌は徹底的に掘削されて、多量の土砂が、何百台とかのダンプで搬出される予定になっていた。その予定表はワメの手元にも残って居る。
ところが。その予定が、途中で大きく変わった。掘削を止めて、土壌をそのまま墓地にすることにした、と住民に通知されたのや。コレハナニカ?様々なウワサが飛び交った。
寺の財政上、工事費用を抑える必要が生じたのか?何等かの理由で完成を急いだのか?終始傲慢、独りよがりな、寺側の態度から推して、近隣住民への騒音、振動被害を顧慮した、とは考え難いのだ。
とすると。やはり「出た」のではないかね?いや、「怨霊」とは言っていないよ。
ご存知の通り、古都鎌倉では、マンション、一般家屋を問わず、新たな建物造成を行なう場合には、前以て、一定期間、現場工事を凍結し、かなり深くまで掘削して、市当局のブンカ関係有識者が、歴史的残存物の有無を調査することが法律でキメられて居るのや。
しかし、墓地の場合は、その規定は無い。掘削深度がさほどでない、からなのか、あるいは建物と違って、何時でも地面を掘削出来るからなのか?
で、それ以来、地元に「ウワサ」が流れて居るのや。モシカシテ、造成工事中に、土中から「骨」が出た、のではないか?多量の歴史的「骨」が出土したとなれば、コトは面倒になる。ハナシが広がらない内に、工事を簡略化して完成させて了わねば、となる。
立ち入り禁止となっていたから、部外者にはその真偽は不明だが。全くの推察に過ぎないが、もし、それがホントなら、工事予定が途中で大きく変った理由が納得出来るのや。
そしてだよ。それが万一ホントなら、怨念に満ちた「骨」の上に造成された「やすらぎの杜」に埋葬される「霊」には、安らぎの保証なんか無いではないか。やはりニンゲン、死んだ後も、「怨念」など完全に払拭した、安心立命の地で眠りたいのではないかね?
周辺の住民にしたって、せっかく折り合っていたモロモロの「怨霊」がヒョンなことから活性化すれば、日常の生活に支障を来す。いや、これは冗談では無いのだよ。
考エテモ覧ナサイマシナ。そもそも、お彼岸、お盆などの「お墓参り」は、こうした「霊魂」の存在を信じるからこその行為ではありましぇぬか。昨今流行りの、芝生の上に一家でベントー広げるピクニック気分の墓参も、ココロのドコカに、その世界への実感チョッピリあってこそ成立する風俗ではゴザイマスマイカ?そこへ、「怨霊」が出っ張って来ては困ってしまうがな。「怨念」だの「瘴気」だのが漂っては気色ワルイがな。
その完全払拭の保証を得るには、どうしたらイイか?それはやはり、ご当地市政のセキニンではないか?しかし、こんなクレームを、例えば「オ役所」に持って行っても、マトモな対応は先ず期待出来ない。
「保健所」も「環境課」も「景観課」も「交通課」も、「怨念」だの「瘴気」だのの除去は自分のシゴトでは無い、管轄がチガウ、カンケイナイ、とタライ回しするだろう。ナニ寝言言ってるんだ、アホチャウカ、と笑われるだけだろう。
しかし、寺に墓地造成「許可書」出した「保健所」などは、本来そこまでセキニン負うべきなのだよ。ソンナコト、考えたこともあるまいが。遺体・遺骨の消毒・衛生だけではなく、地元住民や参詣人の精神衛生に影響与える「怨霊」の浄化も、「保健所」のセキニンの内なのだよ。ホントは。
もしも、役所では手に負えないと言うのなら、「怨念霊魂」の鎮魂・浄化は、ホラ、やっぱり、その道の専門家、お坊様のシゴト。正満寺ご住職に、それこそ「耳なし芳一」の役マワリ、充分な「南無阿弥陀仏シールド」纏った上で、「怨霊」連とハナシつけて頂きたいのや。
今回はここまで。ハナシはモチロン、延々と続く。
★えー、ヒトツお願いがありまして。日頃、イロイロなご意見、ご教示など、有り難く頂いておりますが、出来ればe-mailではなく、下記FAXにお送り下され。e-mailは、時として見ないことが多いのであります(メンドクサイノデス)。
ヒョイと出てくる紙切れの方が、ワメの年代にとっては、ナゼカ、安心・身近かなのですよ。
FAXナンバーは、昨年、一昨年、「イラク反戦運動署名」を数多くお送り頂いたのと同じです。ヨロシク。
★03−3454−7063「U−MAIL」(ウンコ通信)宛て。