U-MAIL(ウンコ通信) 2004/07/13
「鎌倉大革命」第20報 〜鎌倉ブランド・考〜
拝啓:石渡徳一鎌倉市長殿
えー、このところ、浄明寺周辺の家々にナゼカ毎週のように宅配される、東京・高輪・正満寺殿の墓地「やすらぎの杜」のPRパンフレット。「古都鎌倉に墓所を持つ」だけが「売り」。チョット待てよ、これは「鎌倉ブランド」の剽窃ではありましぇぬか?
今、鎌倉は毎日が日曜日、寺社参詣がてらの観光客で溢れかえって居るのや。これは、ヒトエに、善男善女が、この地の武家政権の栄華盛衰と、それを囲む寺社との因縁が織りあげた歴史のオーラ(AURA)、「鎌倉ブランド」に惹かれてのもの。
未だに、歴史を保証するため「怨霊」がアチコチ出没する鎌倉。そのブランド・イメージを形成して来たのは、ナント言っても、長い歴史を持つこの地の寺々。
カンタンに言ってしまうと、幕府御用達、と言うより、その財政を支えた鎌倉五山に始まる「臨済宗」、町場庶民の信仰の核となった「日蓮宗」、そして材木座「光明寺」に代表される「浄土宗」、これらの寺々が中心となって「鎌倉ブランド」を担保して居るのや。他には「時宗」「真言宗」なども数多く。
しかるに。鎌倉在の「浄土真宗」の寺はワズカに「成福寺」のみ。それも、北条氏滅亡後は、一時伊豆に避難し、無人の寺だった時代もあるのや。
法然〜親鸞に始まる「浄土真宗」のフランチャイズは、やはり京都。その画期的、当時異端の念仏信仰で、大当たり取ったのに、当局のイジメ・サベツ・放逐を受けて、暫時、関東地方に行脚・布教されたことは事実だが、鎌倉に足場を築くことはなかった。つまり、「浄土真宗」は「鎌倉ブランド」の造成・確立には何等貢献して居らぬのだよ。
正満寺ご住職は、「鎌倉に墓地を持つことが、長年の願いだった」と繰り返し述べられたのや。「ホントは分院を建てたいほどだ」などとも。それはカマワナイ。御自由や。ただ、単に「寺」だからと言うだけで、臨済宗や日蓮宗や浄土宗がクリエートした「鎌倉ブランド」を「浄土真宗」の墓地販売PRに無断借用するのはマッピラご遠慮頂きたい。
「鎌倉ブランド」便乗ではなく、先ずは、ご自分の「浄土真宗」の宗旨の「PR」から始められるべきではないか。つまり足を地に付けたマットーな「布教」の実行から。
そして、やがて、何百年か後、「浄土真宗」がこの地にシッカリ根付いた時点で初めて、「鎌倉ブランド」を正々堂々、ココロオキ無く、ご使用になればヨイではないか。喝。