U-MAIL(ウンコ通信) 2004/08/20-2 


えー、ワメは不勉強で、この歴史事実をマルデ知らなんだ。


「ヘラ鳥ウォッチング」

「FACE HISTORY'S HEARTBREAKINGTRUTH」:08/20

「トルコによるアルメニアのホロコースト、あなた、ご存じか?」 ジェイ・ブッシンスキー

(エルサレム・発)

1930年代初め、エルサレムを訪れた作家、フランツ・ワーフルは、靴屋を探していたのや。彼の妻(元アルマ・マーラー)が、パレスチナへの船旅の途中で靴を片ッポ失くして、急いで代わりの靴を見付けなければならなかったのだ。ジャファー街にイイ靴屋が在ると聞いたので。

靴屋の名前はガラビディアン、典型的なアルメニア人だった。ワーフルはエルサレムにアルメニア人が居ることにビックリしたのや。

旧市内(OLD CITY)にはアルメニア街が在り、其処に、20世紀最初のホロコースト生き残りのアルメニア人たちが住んでいることを知ったワーフルは感動し、靴屋との会話をモトに、小説「ムーサ・ダーの40日間」を書き、これは国際的な評判を取ったのだよ。

1915年、第1次世界大戦最中、オットマン・トルコによるホロコーストで、150万人のアルメニア人が虐殺され、国外へ駆り立てられたのだ。これは1939〜45年のナチスによるユダヤ600万人のホロコーストの前奏曲だったのやねん。

ヒットラーのヨーロッパ・ユダヤ人ホロコーストは、このアルメニア・ホロコーストに対する世界の無関心によって促進されたのだよ。

1939年4月22日、ドイツのポーランド侵攻の9日前、ヒットラーは、こう演説したと言ワレテ居ル。
「結局、今では、誰もアルメニアの虐殺のことなんか話題にもしない」
このコトバはナゼカ、公式文書には残されていない。しかし、米国ワシントンのホロコースト記念館の壁にチャンと刻まれて居る。

しかし、道徳的感情と政治的カケヒキの間には大きな裂目があるのだよ。

最近、アルメニア系アメリカ人活動家による、米議会でのアルメニア・ホロコースト認定要請は却下された。

ユダヤ人グループも含め、他の利益集団、議員連などが、目下、アメリカの同盟国であるトルコの感情をオモンバカッタのやねん。

イスラエル外交も、道徳的批判より、現在の情勢を優先させたのだよ。アルメニア・ホロコーストに関する重要なドキュメントの公開は、トルコをオモンバカッタ外務省による干渉を受けた。

イスラエル政府は、トルコ首相エルドガンが、ウエストバンクとガザ地区でのイスラエルの政策と行動を非難した時にも、ナント、腰が引けてオタオタしてしまったのだよ。

イスラエル政府も海外ユダヤ人組織も、人道に反するアルメニア・ホロコーストが、結局はナチのユダヤ・ホロコーストの先例になった事実を、逆にエルドガンに突き付けることが出来なかったのやねん。

どんな悲惨であろうとも、歴史的真実はアキラカにセネバ。現在の国際カンケイに左右されてはナラヌ。

アルメニアの首都エレヴァンの南方、受難アルメニア人の陰欝な記念館を訪れた者は、彼らの運命を悼まずには居られない。

イスラエル人、ユダヤ人、シオニストとその支援者は、アルメニアの国家的悲劇に哀悼を捧げるべきだ。

トルコ人は、アルメニア・ホロコーストを証明する写真やドキュメントや証言を受け容れるべきだ。そんなコトは知らぬ、あれは内戦だ、などと言い張るのはヤメなさいよ。


ウム。第1次世界大戦時、ドイツがトルコと軍事協定したことは承知して居たが、アルメニア・ホロコーストなど、トント知らなんだ。ワメの持ってる歴史年表にはマルデ載っていないのだよ。それがやがてナチのユダヤ・ホロコーストにツナガって行くなんて。「情報の偏在」なんて言ってスマシテ居られることでは無いよなァ。無知はコワイ、反省。


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