U-MAIL(ウンコ通信) 2004/12/15
えー、ちょっとPR。この4年間、ワタクシメが《黒の舟唄》なる音楽エッセー?ごときものを連載しておる音楽雑誌「ロック画報」第18号が出ましたのや。
いや、ワメのエッセーはどうでもヨロシ、今回は《歌手・野坂昭如》特集号なのであります。第1号の《はっぴい・えんど》に始まって、毎回フォーク、ロックのスターを一人づつ、一組づつ特集してきたこの雑誌が、遂に人材払底したのか、今回の目玉はノサカ・アキユキ。
で、ワタクシメ、岸野雄一氏のロング・インタヴューでノサカさんとの「共犯関係・冗談関係・憑依関係」についてナンヤカヤ喋り、それをテメエで、もう一度反芻したものを、「ノサカと吉利人のあいだには・・・」とタイトルして載せましてん。
ゴチャゴチャ言うてもハジマラぬ。買うて読んでおくれやす。珍秘CDもついてます。
後から考えて、ヌケていたハナシをヒトツだけここで。
70年に始まる「野坂唄」のモチヴェーションのヒトツは、それまでの10年間、書き続けていたCM音楽への「大忸怩」だったのだよ、今想えば。
特に73年に自殺する天才クリエーター、杉山登志との「資生堂」CM作り。63年に「ファッション・ベール」でカンヌCM映画祭の銀賞とかを取ってから、ニホン経済登り坂に沿って、現在のCM作りからは想像も出来ないほど、殆どノーチェックという感じで、思うままの映像を次々創り出していた杉山登志。コッチも殆ど制約ナシで、それに音楽を付けて居たのだよ。あの10年間、「資生堂」CMの90%は、スギさんとワメの色で染められていたんちゃうか。
お互い30代のイキオイだった。これも一種の「共犯関係」だったかも。「CMというクダラナイモノをイノチガケで作る」という暗黙の合意があったのや。当時、各CM賞総ナメでホメられっ放しのクリエーターのテレの自乗と言った方がイイカモしれないが。
しかしテレビの中で、「CM」は次第に浮いて見えた。「報道」は「安保」とか「べ平連」とか「公害」とか、キンキラ「繁栄」のウラ側の構造に届くようになっていた。
極端に言えば、「末期泥沼シホン主義地獄」と「キンキラCM天国」が代わり番こに出て来るテレビに変わっていた。その片ッポだけの世界で暮らしている居心地悪サ、が急激に膨れ上がって、ココロのバランスが取れなくなっていたのだよ。
「野坂唄」はそのアンビヴァレンツの吐け口、つまりワメ語で言うところの「イワシ唄」だったのや。テメエ自身のための。お分り頂けるか?
で、しばらく忘れていたアンビヴァレンツが、このところ、またまたアタマ擡げて来て居りますのや。目下神の手によりリハビリ拘束中の、ノサカ釈放のアカツキには、新なるラジカル・ジジイ・ソングをヒリ出したいと考えとります。ヨロシク。