U-MAIL(ウンコ通信) 2005/02/21 


えー、中国三題噺、お届け致しやす。ノッケはスタンダード・ナンバー・タイトル擬き。


「ヘラ鳥ウォッチング」

「ON A BOAT GOING TO CHINA:VERMONT SNOWSHOES JOBS」:02/18

「オン・ナ・スノーシューズ・トゥー・チャイナ」 マイケル・クラニッシュ

(ヴァーモント・ストウ・発)

この山間の村では、行楽客はみんな、ニューイングランドの象徴、Tubbs社のスノーシューズを履いて居る。

一度は死んだこの会社は生き返り、最近では、マンスフィールド山の近くのこの村でこのシューズが製造されて居るのだよ。

でもこの会社の工場に入っても森の中のようにシーンとしている。鋲打ちの音も聞こえず残って居るのは包装係だけ。製造機械はとっくに仕舞い込まれ、外には輸出用のトレーラーが待機している。15年目の工場長フォスターの仕事は中国に自ら出掛けて、スノーシューズ作りを中国人に教えること、古い機械を持ち込んで。

そして、フォスターの仕事も、何人かの組立て工員と共に、やがて必要なくなるのだよ。「此処にはもう誰も要らないのさ。ワレワレはワレワレの成功の犠牲者なんよ」と。

この動きは、アナリストの言う米国産業の中国向け第3波、工場転出の典型例なのだよ。
第1波は中国への商品直接売込みだった。第2波は中国の安い労働力使っての、米国市場向け売込み。そして今回は、Tubbs社のように、既に中国へ外注している競争相手に対して、会社を中国へ移転して労働その他のコスト削減を狙う戦略。

ここまでは、よくあるハナシ。しかしTubbs社のオーナー、エド・キニリー氏は、従業員たちに反発を買っていないのや。ワタシがインタヴューした労働者たちは、みなキニリー氏を賞める。なぜ中国移転しなければならなかったかワカルと。キニリー氏は、スノーシューズ作りを、田舎の商売から都会で売れる商品に変えた、いわば救世主なのだと。

1906年、メイン州のノルウェィ町に創設されたTubbs社は、一時は、リチャード・バードの南極探険隊や、2次世界大戦時の米国陸軍などへスノーシューズを供給して居ったのや。

猟師や樵などが長年のお得意だった。1987年にキニリー氏がこのブランドを買った時には、こんな一年に一度のシーズンしか商売にならず、それも天気次第という商売にカネを注ぎ込むなんてアホやないかと誰もが思ったのだよ。

しかし、プロの戸外生活者だったキニリーは、素晴らしいバインディングを付けた軽量のメタル・スノーシューズなら、レクリエーション市場のブームに乗れる、という確信を持っていたのや。昨年までに生産量は11万足。その内400足だけが昔からの様々な木製シューズだった。

今年60才のキニリーは、若い時、生れ故郷のヴァーモント・スプリングフィールドで、機械製作会社を手放した。当時、見た目にもガックリ落ち込んだ彼は、自分が作り上げた商売が結局は中国に行ってしまったためだと釈明したのや。

2年前、Tubbs社は、ヴァーモントの貿易会議所から「今年のナンバーワン輸出業者」に選ばれた。しかしキニリーはその当時から、中国との競争に圧迫されていると言い、この2000万ドル商売をスポーツ用品メーカー、K2に売ってしまったのや。K2は広州の工場で8000人を雇用して居る。

この取引で、Tubbs社を中国に移す必要は無かったのだが、キニリーは、「彼らの戦略は低コスト製造だ、こうなることは分かっていた、と言わなければ、ワタシがウソを吐いたことになる」と。K2は、早急に製造部分を中国に移すが、他の多くの仕事はヴァー モントに残す計画をキメたのや。

そして、偶々、先週、Tubbs社の設備が中国行きの貨物船に乗せられようとした当日に、米国下院のたった一人のヴァーモント出身共和党議員、自称社会主義者のバーナード・サンダーが、ワシントンで記者会見し、66の共同スポンサーと共に法案を提出したと・・・
(??ここで、この記事のコピーがドウシタコトカチョチョ切れてしまって居ることを発見!大事ナトコロでドジなハナシや、ゴメン、この項これにてサドンデス)


ウム。やはり擬きタイトルが悪いのや。《ON A SLOW BOAT TO CHINA》ウツラウツラの中国行き白河夜船、ハナシが夢の中へ、雪のように消えてしまったやんけ。韻に拘ればタイトルは、引かれ者の小唄、《ON A SNOW BOAT TO CHINA》とすべきやねん。


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