U-MAIL(ウンコ通信) 2005/02/23 


えー、フリードマン君が、アラブの明日について、チョッとマトモ過ぎてオモロクはないが、アメリカ式正論、と言う感じのコラムを書いて居る。一応ご紹介しておく。


「ヘラ鳥ウォッチング」

「ONE BLOODY BRICK AT A TIME」:02/22

「血まみれの煉瓦ヒトツづつ」 〜アラブの壁はベルリンの壁のようには行かない〜

トーマス・L・フリードマン

中東には良いニュースも悪いニュースもある。

良いニュース。アラブ世界の壁が、ベルリンの壁のように崩れつつあるのを、ワレワレが目撃してるってこと。旧い独裁体制が揺れ動いて居る。

悪いニュース。だけど、其処には、ハヴェルもワレサも居ないし、「連帯」も無いのだ。血まみれの煉瓦をヒトツづつ壊して行く他ないのや。

イラクの何百万の「民衆パワー」が、「投票に行けば殺すぞ」というバース党やジハード兵士の脅迫に立ち向かったことはスバラシイ。

レバノンの反体制派が、リーダー、ハリリ氏の暗殺に対して、シリア政府を指差して抗議したことを、軽く見てはいけない。

パレスチナの選挙で、候補が正しく選択され、マァマァの近代派アバス氏が選ばれたことを無視してはいけない。

エジプトで、ムバラクの5選に、国民が初めて反対したことを無視してはいけない。

こういった動きは、かつてのアラブ世界には無かったことや。「ラクダが空を飛んだ」ようなビックリなのだよ。ナニかが、伝説的な「アラブの街角」で起きているのやねん。
部族的な王や、独裁者が、「アメリカ」「イスラエル」「西側」から屈辱や脅迫を受けているとワメキ立てれば、民衆が結集する、という仮説は、もはや通らない。

イラク侵攻は、一方で、反アメリカ心情とテロリストを生んだけど、他方で、親民主主義派をも生み出したのやねん。

この50年間のアラブの政治の不毛からの脱却を目指していたのがハリリだったのや。これを「バグダッドの春」とでも呼ぼうか。しかし、先は見えない。改革はカンタンじゃない。独裁者の壁は、チョイと押しただけで崩れるようなもんじゃない。

反乱ゲリラの「首狩り」や、サウディの「自爆戦士」や、レバノンの「ハリリ暗殺」は、その困難を示して居るのやで。この地域の旧勢力の銃口に花を飾っても、ブっ殺されるだけだ。

ワタシは、アメリカが、イラクへのアホなオチョッカイ屋だと言ってるわけじゃない。これは長い長い旅のハジマリだと言いたいのだよ。

過激派や独裁者が暴力に頼るほか無いのは、「アラブの街角」での理念のタタカイに負けて居るショーコやねん。

進歩的勢力は、自分たちが、今までとは違った政治を創れることを、派閥のバランスとかに関係なく、全国民に向かって示さねば。外敵に対してと言うよりも、同じ理想に対して連帯しなければ。

アラブ世界には、元来、国家とか市民と言った観念がウスイのや。モスクの外にはブンカが無いのだよ。だから、たとえ壁が崩壊しても、報道の自由とか自由市場とか民主的政府を作り上げるための経験が無いのだよ、歴史的に。

不完全ながらも、進取的なハリリ氏が代表していたのが、それを克服しようと言うココロミだったのや。だからこそ若いアラブ人たちは、その暗殺をユルセないのだ。

そのアラブのココロは、レバノンの代表紙「アン・ナハール」に載ったサミル・カシールのエッセイを読めばよく分かる筈。今まで、こんな論説が書かれたことは無かった。

歴史的に、ベイルートは「アラブの大義の防壁」だった、とカシールは書く。ハリリの葬儀によって、アラブのナショナリズムは、ヒトツの新しい目的を手にしたと。今日、愛国心は、テロやクーデタによる政権から離れて、アラブ・ルネッサンスへの前奏曲、人民の自由獲得へと向かって居る。だから、ハリリの葬列には何十万の自由市民が加わった。数年前の前シリア大統領アサドの葬儀には、僅かな党幹部が参列しただけだった。

「ベイルートこそ、新しいアラブ愛国心の中心。この愛国心は、男女市民の自由意志の上に築かれて居る。これこそシリアの独裁政権がなにより怖れているもの。ベイルートつまりレバノンへの支配の終わりが来るのではと」


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