U-MAIL(ウンコ通信) 2005/03/25 


えー、サベツの話題2ツ。先ずはROMAモンダイ。え、ローマ?さよ、この表記がワメ等には解りにくい。ヨロシイカ,ROMEと書けば、あのイタリアのローマ。ROMANIAと書けばこれはドラキュラのルーマニアのコトやねん。で、ROMAとはROMの複数形。ROMと言ってもCD−ROMではない。《ジプシー》のコトなのや。

本来は黒髪、有色肌の、インド系放浪性民族。15世紀頃、インドからヨーロッパ全域に流れこんだ。英国人は彼らを、エジプトから来たと考え、EGYPTIANと呼んだ。これがナマって《ジプシー》となったらしいのだよ。その英国にはジプシー保護法があり、居住地や子供の教育などが確保されて居るのや。伝統的な職業としては、占い師、イカケ屋。さよ、ワメラとしてはジプシー・ヴァイオリンを忘れるワケには行かない。

ご存じだろうか、一時期、NHKが名曲「チゴイネル・ワイゼン」の放送を自粛したことを。世界のサベツ反対趨勢にオモネて、ドイツ語で《ジプシー》をイミするこのタイトルをクレジット出来ない、と言う理由で。アホか。それでは逆サベツやんけ。で、このコラムでは《ROMA》ではなく、《ジプシー》で通す。


「ヘラ鳥ウォッチング」

「END EUROPE'SUGLY RACISM TOWARD ROMA」:03/01

「ヨーロッパの被サベツ民《ジプシー》エンガチョ止めねばよ」

クロード・カーン (欧州ジプシー人権センター所長)

(ブダペスト・発)

あのホロコーストから何十年も経ったが、その被害者の中に居た《ジプシー》への西欧社会からのサベツ、エンガチョは未だにヒドイものだ。

ジプシーのヨーロッパでの1000年の歴史は、抑圧、奴隷扱い、組織的迫害の連続。近年になっても、リンチ、ポグロム(組織的襲撃)、人種サベツによる就職拒否、その他深刻な基本的人権無視にサラサレて来たのや。

1992年春、セルビア軍の東ボスニア侵攻の際にも標的となった。ハンガリーの難民キャンプに逃げ込んだジプシーの一人は、1996年、欧州ジプシー人権センターに、こう述べたのや。「ボスニア・ツヴォルニックのジプシー共同社会は殆ど殺戮された。家は破壊され、まるで熊狩りだったよ」

1999年、NATOの爆撃で、ユーゴスラヴィア軍がコソヴォから撤退した後、アルバニアによって、セルビアなどと一緒に、多数のジプシーもコソヴォから掃き出された。

1999年までは、コソヴォのジプシーは、かなりの暮らしをして居たのだよ。ラジオ局もあり、行政にも関わり、知識階級が居てはったのや。しかし、セルビアとアルバニアの紛争に巻き込まれ、双方から攻撃された。

コソヴォに居たジプシーの多くは、現在、セルビアとモンテネグロでヒドイ暮らしを続けて居る。コソヴォに帰ることも出来ず、当然の被害補償も拒否されて居る。

ジプシーに対する暴力は戦争地帯に限らない。東欧の共産主義崩壊後、ジプシーは盛り上って来た人種サベツ主義者の暴力を受けて居る。チャウセスク政府転覆後、ルーマニアからポグロムの波が襲来し、30以上のジプシー共同体成員が、追い出され、放火され、殺された。同じことが、ブルガリア、チェコ共和国、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキア、ウクライナ、前ユーゴスラヴィアでも起きて居るのや。

これに対し、欧州の犯罪裁判制度は何も対処出来ていない。特に暴行者が警官の場合、お手上げなのや。

ジプシーに対する中欧、東欧のサベツは学校にまで及ぶ。ジプシーの子供は心的障害者用の学校に通わされる。ルーマニアでは、ジプシーの子供は学校に通えない。

チェコ共和国での、ジプシーの失業率は70〜80%、所によっては100%。ハンガリー、スロヴァキアでも同様。バブやレストランやディスコなどに入れないことも。住居も拒絶されることが多い。

まァこれは今に始まったことではない。西欧では、中世から迫害受け、東欧では奴隷の位置に居ったのや。そして迫害は第2次世界大戦でピークに達した。ホロコーストで何万人が殺されたのだ。近代に同化できない不器用さから、ジプシーは自分たちの文化、工芸、生活スタイルを失い、バラバラになってしまったのや。

最近になって、ジプシーはアメリカの市民権運動に啓発されて、抑圧をハネ除ける戦いを始めた。欧州ジプシー人権センターに頼って、勝利を勝ち取った。1995年のモンテネグロのポグロムによる74人の犠牲者に対して100万ドルの補償を受けた。

しかし、これは欧州世界の《ジプシー》への侮蔑とエンガチョの大きささら見れば、これは焼け石に水の一滴みたいなもの。今年、ナチの地獄収容所解放から60年、欧州はホロコーストは過去のモノと思い込んで居るようだが、ジプシーの犠牲者とその後裔への目配りが必要だ。


BACK