U-MAIL(ウンコ通信) 2005/04/25
えー、改心(ボーン・アゲイン)福音主義者・小ブッシュは、青年よ、禁欲せよ、コンドーム、中絶、はモッテノホカと説くが、さて、アメリカの青年のセクスの実態やイカニ?先週のネタ。ややマユツバなレポートなれど、ご紹介致す。ヒトゴトじゃないので。
「ヘラ鳥ウォッチング」
「PUBLIC HEDONISM AND PRIVATE RESTRAINT」:04/18
「外側享楽・内側禁欲〜アメリカの青年」 デヴィッド・ブルック
(ワシントン・発)
肌をピッチリ締め付けたタンクトップ姿の熱に浮かれたようなティーン・エージャー。
彼らのiPodsからは、オーラル・セクスを謳歌するバンド《50セント》のラップ・ソング《キャンディ・ショップ》が流れ出す。大学新聞拡げれば、ワイセツなッセクス・コラムが載って居る。
これからするってえと、アメリカのワカモノは、まるでカリギュラ風の享楽生活を送っているとしか思えないのや。成人儀式として、高校のダンス・パーティでオーラル・セクスが行なわれている、と言うハナシに眉をヒソメて心配する親御サンも多い。自由奔放なセクスがワカモノの日常になって居るのではと。
しかし、それは大マチガイのコンコンチキやねん。
たしかに、セクス風俗はアメリカ中にムキ出しにされて居る、《ヤリタガリの主婦》なんて言うテレビ・ショーとか、同様の音楽ヴイディオとか、インタネットとか、実生活以外の場所で。
つまり、エンタテインメント・メディアでは行け行けセクス的な傾向がハゲシクなりつつあるが、アメリカのティーン・エージャーは、逆に禁欲的になりつつあるのやねん。
この15年間で、十代の妊娠、出産、中絶、は1/3減少して居る。ワカモノのセクス実行はズーッと遅くなって居る。15才でのセクス経験者は大きく減って居る。13才ではもっと減って居る。(アタリマエヤンケ)
4、5人のセクス・パートナーを持っているケースは1/4減って居る。セクス未経験の高校生は50%。1990年には39%だったが。
オーラル・セクスが十代に蔓延しているというレポートは大ゲサ。その確証は無いのや。むしろ、即席セクスはワルイ事、セクスはオトナになってからと考えているワカモノが確実に増えて居る。
アメリカのワカモノをジっと観察してみると、表面ミダラに見えて、内面ケンゼン、と言うパターンが見えて来る。《マキシム》のようなメンズ・マガジン読みすぎる連中は、いつか自分も両親のように離婚するのでは、と心配するが。
エミネンのようなラッパーは、伝統的モラルからは、とても模範ニンゲンなんて言えないだろうが、彼の怒りは自分が育った崩壊家庭に向けられているのだ。だから彼の望みは、ユッタリとした郊外の暮らしの中で自分の娘を育てること。
よーするに、メディアをあまり信用するな、と言うことや。《50セント》はポルノ的なウタで当てたが、そのファンはそのウタのような生活にアコガレているわけではない。ウタはウタと、知っての上だ。
ダイジなのは現実を知ること。離婚の悲惨を見たワカモノ世代は、両親や牧師を尊敬し、言うことを聞くようになる。セクスで病気に感染して人生を台無しにしたくない、と警戒するようになるのや。
こうも言える。ワレワレは今、ブロードウェィ式の退屈キワマル長ったらしい芝居の大団円に立ち合っているのだと。これはイワユルヒトツのブンカ戦争なのや。
1830代年このかた、アメリカは同じイサカイを繰り返して来た。一方が、ブンカの堕落や伝統的モラルの失墜を嘆き、相手陣営のセキニンだと責め立てる。相手方は、自由戦士を気取って、ピューリタニズムを嘆き、宗教権威をカサに着ての抑圧や脅しを攻め立てる。
この不毛なカブキ式バトル。このイサカイを墓の中まで持ち込む連中も居てはる。
50年代対60年代、果てしない憤慨の応酬。テメエ中心の正義主張。資金集めの理由としての論争、その繰り返し。
しかし、現代のワカモノは、この不毛なタタカイの、ドチラ側にも参加しない。ソンナモノはフルイと。個人は政治にカンケイナイと。セクスは道徳を主張する戦場じゃないと。
彼らにとって、サヨクの率直さ、右翼の健全さ、はそれなりにヨイと。一般の生活の中に宗教の影響が及ぶのはイヤだと。しかし、自分たちは、それなりに身持ちヨイのだと。
ホモの大幅な許容はイヤだと。でもそれが普通のオトコオンナ家族をより健康的することにツナガレばエエんちゃうかと。
さよ、ドッカリと構えて、この楽観テツガクを見守ろうや。
ウム。ワカモノのセクス・イメージの分化。これをカンタンに「健全」と判断するのか?この傾向は、アメリカだけのモノではない。先進諸国のワカモノのセクスのナンヤカヤは、一般的に、カラダから脳へとシフトしつつあるのや。コワイよ、これは。
ワメはこれを「IT型インポ」と名付ける。テメエがネットの網に組み込まれて、セクスへの自立的本能的肉体的欲望がヒドク衰えてしまって居るのや。
大日本性犯罪の歴史ヒモトケば。戦後の基本的「飢餓」状況の中での、小平義雄(ご存じないか?)大久保清型レイプ犯罪と、現代の基本的「飽食」状況の中での、宮崎勤、小林薫型幼女レイプ犯罪とは、まったく異質。
テツガク的に言えば、小平、大久保のセクス欲望はプラス印、行動は「他者」としての「女体」に向かっておった。宮崎、小林のセクス欲望はマイナス印、行動は「オタク自己」内部の、「ヴァーチャル少女」に向かっておるのや。
そのキーワードは「視姦」。テメエのカラダの欲望の充足ではなく、レイプを「映像化」し「所有」することにポイントがある。「手段」の「目的化」やねん。その点では、「手鏡」植草教授も同じ線上。これは現代のグローバル経済構造の中で、「インタネット」と言う「手段」が「目的化」して居ることと、モロ、パラレルやんけ。
まァ、超短絡ロンリで言えば、先進国総インポ化が始まって居るのや。少子化、労働力不足、生産性下落、経済構造崩壊、キリスト教ブンカ圏滅亡、ハルマゲドン到来、救世主再臨へ、つまり時代は過激福音主義者の狂信に沿って、動いて居るのやねん。
人権・人道的にはトンデモナイことなれど、目下、アフリカでの内戦的鏖殺、暴力レイプは、エネルギーとしてはプラス印、原始的本能は健在と診断される。つまり、アフリカには本能的未来があるのや。「視姦」型社会国家に未来は無い。
世界史は、倫理を超えたロンリで動くのや。なんてエラソーに。THE・END。