U-MAIL(ウンコ通信) 2005/06/28 


「鎌倉大革命」第33報

拝啓:石渡徳一鎌倉市長殿(緊急要望)

私事ながら。去る5月16日(月)に、招待受けて、三田山上演説館に赴きました。卒業以来、ほぼ半世紀ぶり。個人的には学生時代、ワグネル・オーケストラの練習や、演劇研究会の公演など行なった懐かしい場所。

当日は、恒例の「福沢先生ウェーランド経済書講述記念日講演会」が行なわれ、演説館は老若塾関係者で満員、座席が足りなくなるほどの盛況でありました。

今年のテーマは:

「小幡篤次郎没後百年〜福沢諭吉を支えた第一人者」

講師は:

福沢諭吉協会理事長:塾理事:服部礼次郎氏

福沢研究センター助教授:西沢直子氏

服部氏は「小幡篤次郎を偲ぶ」と題して、福沢と同じ九州中津藩士としての篤次郎の出自や人柄、福沢との出会い、教員わずか7人で始まった新銭座慶応義塾の実態、篤次郎の著作など、ユーモア交えて懇切丁寧に紹介。

「ウェーランド経済書講述記念日」というのは、維新前夜の1868年5月15日、上野ではまだ彰義隊が暴れている最中に、その騒ぎなどどこ吹く風と、慶応義塾では福沢や小幡がウェーランドの経済書を講述していたと言う逸話から、毎年この日を記念して、福沢関係の講演会が催されることになって居り、今年は15日が偶々日曜日であったので16日となったわけだ。

西沢氏は、今まで、あまり顧みられることの無かった、中津藩内における上級藩士としての小幡が、下級藩士福沢を、万事につけて盛り立てた功績に光を当て、もっと顕彰されるべき人物である、という主旨を述べられた。

印象的だったのは、講演後の質疑応答で、ひとりの老婦人が、「ウェーランド修身論」に言及して、「近ごろの塾出身者のモラルの低下を憂えて居る」と述べられたこと。

で、ワタクシメは、その小幡篤次郎の曾孫として、同じ1/8のDNAを相続?して居る3人の従兄弟とともに、招待を受け、出席した次第。小幡家の男系血脈は絶えて居り、毎年の墓参は、篤次郎の三女と四女の血を引くわれわれ曾孫従兄弟連で行なって居る。

講演会終了後、軽い茶話会が設けられ、服部氏、西沢氏、その他塾関係者と暫時雑談。さらに後日、もう一度、三田図書館内の福沢研究センターで、「小幡篤次郎全集」の企画などで、服部氏、西沢氏、その他の塾関係者と面談の機会があった。

その折りに、鎌倉浄明寺地区での、住民の反対押し切っての、トンデモナイ墓地造成を強行した、東京・高輪・正満寺の住職、樹谷淳宣氏が、慶応義塾商学部出身者であり、まるで不動産屋然とした、その行為・態度が、地元民の大きな怒りと不信と反発を買っている事実を、重ねてご報告申し上げた。(服部氏は、塾仏教関係者内での樹谷氏の悪評判を、既にご存じだったが)

現鎌倉市長、石渡氏も塾員であり、最初は、このトンデモナイ墓地造成に疑義を抱いて居られたことなど、これまでの経緯を「鎌倉大革命」から抜粋して、服部氏にお渡しした。

ところで最近、浄明寺周辺の情報では、住民との話合いを避けたまま、正満寺は、危険な崖地上の墓地をさらに拡張する計画を立てて居るとのこと。風致地区の規定は一体どうなって居るのか。ご承知の通り、全面コンクリートで覆ったこの急造墓地は大雨、台風時には溢水、土砂崩落の可能性高く、住民の生活に危険が及びかねない。

ご存じのように、浄明寺地区の《住民の生活と環境を守る会》JYOとしては、粘り強く、この言語道断な寺の姿勢を糾弾し続けて居る。

最近は、ばばこういち氏をコーディネーターとする「鎌倉・トークシアター」を発足させ、毎回テーマを定めて、ジャーナリストをゲストに招き、こうした社会不正に対する住民の意識を刺激し、活発な発言を引き出す試みとして成果を上げて居る。既に3回を消化し、7月24日(日)に第4回目が予定されて居る。(詳細は追ってお知らせする)

このトンデモナイ墓地(《やすらぎの杜》とか称する)の経営者・正満寺の勝手放題に対して石渡市長にも、何らかの具体的対処を強くお願いしたい、同じ塾員として。

東京・高輪・正満寺住職、樹谷淳宣氏の反社会的行為は、宗教者としての外道に加えて、公正を重んじる福沢精神からの大逸脱、慶応義塾の恥サラシであります。



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