U-MAIL(ウンコ通信) 2005/08/24-3
えー、戦争経費の大部分を占める、兵士調達。ベトナム戦争時代と違って徴兵制の無い今のアメリカ、士官学校出の正統軍人で不足する人数を、結局はカネをエサに、「傭兵」で埋めねばならぬ。これを憂えるご仁も居てはるのは当然。チョット古い記事なれど。
「BRING BACK THE CITIZEN-SOLDIER」:07/26
「アメリカよ、《市民兵士》の時代に戻れ」
デヴィッド・M・ケネディ (スタンフォード大学歴史学教授)
アメリカは今や「傭兵」国家。現在、ペンタゴンの予算は、他の国々全部の軍事費合計より大きい。現代のヴォランティアは、危険を承知で、給料と保障給付目当てに契約する。
理想とか愛国心のモンダイはコッチ置いといて。兵士という職業は高貴なもの。手当て貰うのを恥じる必要は無い。モンダイは今、アメリカの兵力はあまりにも手薄だという事実にある。そして、戦う市民、というモチヴェーションが稀薄になって居ることに。
古くはギリシャ時代から、アメリカ独立戦争を経て20世紀まで、手に銃を持つ義務と、市民の権利はツナガリを持つものだったのや。アリストテレスのアテネ、マキアヴェリのフローレンス、トーマス・ジェファーソンのヴァージニアを想い出せばわかることだよ。
アフリカ系アメリカ国民は、南北戦争から第1次、第2次世界大戦と通じて、そのツナガリをよくワキマエて、平等の権利を得るための足掛かりとして、戦争に赴いた。
この伝統がペケになってしまったのや。
たとえば第2次世界大戦時には、アメリカは1600万人の男女が軍務に服した。それだけでなく、経済的社会的精神的なスベテのチカラをトコトン絞り出しての「総力戦争」だった。全市民参加を強いる戦争だったのや。(WAR OF NECESSITY ト人ハ呼ブ)
しかし、戦争のパターンに革命が起きた。最新のエレクトロニクス、情報テクノロジーが第2次世界大戦時の4%のニンゲンで戦争を賄う。国民所得の40%を費やした第2次世界大戦と比べれば、現在の軍事予算は国民所得の4%。(絶対額ハ今ノ方ガ大キイ)
ワレワレアメリカ市民は今、自分の息子や娘を危険に曝す義務にカンケイ無く、戦争を実行して居る。アメリカ市民の名で行なわれている戦争なのに、市民の大部分には何の義務も生じない。
これは不ケンコーな状態ではないか。現在の軍隊を「傭兵」と呼ぶことには抵抗があるかも知れないが、2世代ムカシの「市民兵士」とはオオチガイのコンコンチキやねん。かつての市民兵士は、教育程度や出身階層に顧慮することなく、総動員されたのや。そこには戦争に訴えねばならない、と言う市民社会共通のコンセンサスが在ったからだよ。
「戦争パターン大革命」は第2次世界大戦時代の膨大な兵力を時代遅れにした。しかし、クジ引き制にせよ強制にせよ、かつては普遍的兵役義務が、市民と軍隊とをシッカリ結びつけていたことはタシカだ。
「戦争」と言うものは、将軍連や政治家連にだけ任しておけばイイものとちゃうねん。国民自身のシゴトやんけ。
ウム。そしたら日本の多くの市民が「カンケイ無い」とエンガチョし勝ちの「自衛隊」も「傭兵」やんけ。
かつて「靖国神社」に祀られることは、「傭兵」ではないことの証明だったとも言える。