U-MAIL(ウンコ通信) 2005/11/07-2
「SADDAM SAID TO WEIGH EXILE BEFORE INVASION」:11/03
「米侵攻寸前まで、サダムは亡命受け入れるツモリが有った?」 ハッサン・M・ファタ
(アラブ首長国連邦:ドバイ発)
アメリカ軍のイラク侵攻寸前まで、サダムは戦争回避のため、(アメリカからの)亡命要求を受け入れる気になっていたらしい。
しかしアラブのリーダーたちは、この問題処理にコシが引け、意見がまとまらなかった、とアラブ首長国の高官がバラシたのや。
皇太子ムハマッド・ザイード・アルナヒャンが、亡父・ザイード・ビン・スルタン・アルナヒャン大統領の一周忌に当たって、アル・アラビア放送に語ったところによれば、サダムは恩赦と保護を条件に、亡命の意志があって、亡父は、サダムの申し出を受け入れかけていたと。
これはサダムが亡命を受け入れようとしていたという、ハジメテの公式情報やんけ。
この問題は、侵攻の寸前の2003年3月、紅海リゾート地シャルム・エル・シェイクでのアラブ同盟代表者サミットに提出された。
匿名条件で、首長国のある高官が語ったところによれば、首長国の代表たちは都合4回、サダムと会った。サダムはホンキだった。しかし、自分の方からではなく、アラブ同盟の方からの支持を要求したと。ギリギリの瞬間まで、大筋でOKが出ていた。しかし、この提案が、戦争の数週前、アラブ・リーダーたちの緊急会議に掛けられ、論争の末ツブサレたと。
イラク派遣団は、ウラのネゴを知らないまま、この提案をアザ笑い、関心示さず退けた。提案が論議されることも無かった。
緊急会議に出席していたアラブ高官は、「多分、手遅れだったかも。というか、もっとヒミツ裡に裏面工作されるべきだったかも」と。
その日の終わりには、それはもう「歴史」になっていた、というワケやねん。