U-MAIL(ウンコ通信) 2005/12/12-2
えー、このところ中国と並んで急激な経済発展続けるインド、いわゆる中産階級がガボっと増えて、そのステイタス・シンボルとしては、やはりクルマ。やたらドデカイ外車が売れているようだが、その一方で、ビンボーのシンボルと目されるものは、サベツされ、消えて行くのや。ややフルイ記事なれど、ご紹介致す。
「ヘラ鳥ウォッチング」
「A LAST BASTION WEIGHS AN END TO RICKSHAWS」:11/25
「消えゆくカルカッタの人力車」 アメリア・ジェントルマン
(カルカッタ・発)
混雑した道路を客を乗せてホイホイと走るカルカッタの「力車」夫はテツガク的なジレンマを提出するのや。これは反人道的な労働搾取なのか、それとも生活のためのマットーな商売であり、この町の大事なサービスであるのか。
カルカッタ市長は、この風俗を「卑しい」もの、植民地時代の名残だと。マルキストをもって任じる西ベンガル州の首相は、「野蛮」であると。市の役人たちは、手牽き「力車」はもはやアナクロだと。世界の他の場所では法的に規制されて居ると。「人間馬」を続行することは「人権問題」であると。
政府がこの見解に同調すれば、禁止は時間の問題で、そうなると、カルカッタの1万8000人の車夫が仕事を失うことになるのや。
ニンゲンが他のニンゲンを牽いて走るイメージは光輝に満ちた新生インドに似付かわしくない、と役人は言うのだよ。
さよ、カルカッタは変貌しつつある町なのだ。町の中心はヒドイ大気汚染で、粗末な植民地風建物はススで黒ずんで居る。ラッシュアワーには、道路は混んで脇道は「力車」1台が通り抜けるのがやっと。
でも、町を外れれば、この町の未来が見えて来る。其処には新しい設備のガラス構造物と、ITパークと、スペイン風の居住開発区などがあり、巨大なショッピング・モールの正面には西欧ブランドの広告がイッパイ。
そのコントラストの中を、「力車」がヒョイヒョイと縫って行くわけやねん。
ところで、廃止後の「力車」については、再就職手当ても補償も無い。「力車夫」たちは家族マルゴト飢え死にや、と言う。誰もこの商売、やりたくてやっているワケじゃない。共産主義政府が保護してくれるとは思っていない。だって役人たちは、外国の投資家にモミ手するばかり。
「誇りに思ってるワケじゃない」9人の子持ち、45才のモハメッド・ナシムは言う。「ホテルの仕事や、ゴミ収集の仕事に比べれば、まァまァの商売だわな」
全ベンガル力車組合も廃止を認めて居る。「ニンゲンがニンゲン乗せて牽くのは、畑仕事や炭鉱よりも非ニンゲン的」と。
道路から力車を排除しようというココロミは初めてではない。1990年代半ばには一般大衆の反対でポシャった。しかし今回は市長が言い張って実行されようとして居るのや。市長は、共産主義者であるにも拘らず、市の商業的成功を推進しようと努めて居る。カルカッタを、貧乏と抑圧の町という国際的評価から脱却させて、IT技術の中心地にするのが望み。
よーするに、「力車」の人権守るより、市としての面子がダイジなのや。下水設備や道路改修よりも、貧乏人スラムや力車を排除したがるのだよ。
力車夫の80%は、貧困地方からの移住者。スラム住人と同じく、選挙権ナシ。「たしかに反人道的かもしれないけど、廃止するこたァないじゃんか」と前述のモハメッドは言うのだ。
ある女性客は、「短距離の買物なんかには、とてもベンリなのに」と。「ニンゲンがニンゲン牽いてドコがワルイのよ?タダで働いているわけじゃなし、OKよねェ」と。
力車夫ジャダヴは、朝6:30から働きに出た。午前中の商売は1件、8ルピー(17セント)だけ。家族を食べさせるには15倍の仕事が必要だ。彼はハダシで走る。安いプラスチックの引っ掛けサンダルは走り難いし、皮靴は高すぎる。
最近カルカッタ・サマリタンから出されたレポートは、こう結論付けて居る。力車の廃止は「既に経済的にギリギリのところで苦しんでいる何千人の生活に致命的な打撃を与えることになるだろう」
これに関連してのもう1本の記事もご紹介致そう。
「A JAPANESE IMPORT FINE-TUNED BY A JESUIT」
「モトは日本の人力車」
(カルカッタ・発)
「力車」つまり日本の「人力車」は1870年代に、日本に現われたと考えられる。その原点には諸説あり。
ジョナサン・ゲーブルなるアメリカ人宣教師が、病妻の搬送のためにデザインしたと。軽い木製の箱と2ケの大きな車輪、2人分の座席。
「力車」がインドに来たのは、19世紀末。初めは英国人向けの夏の丘陵地シムラに。
20世紀になってカルカッタへ。
1914年、中国人移民が、一般大衆の搬送用に力車を使う許可を取った。
1949年、中国では、共産党政府によって禁止。しかし、カルカッタ他、アジアの都市のアチコチに残った。
1920年代、とあるインドのジズエット宣教師が、サイクル車輪とペダルを加えて「自転力車」を作った。これについては「人権問題」は起きなかったのや。労働的には同様に苦しいシロモノだったのに。これは汚染を生まない乗り物としてヒョーバンはイイ。
ウム。日本では最近、浅草や鎌倉に、神戸のヤっちゃんが勧進元とウワサされる、観光用人力車がヤタラ蔓延(ハビコ)っておる。誰も「人権モンダイ」だとは言わない。鎌倉においては、シツコイ客引きと、細道にホイホイと入り込んで来る図々しさで、ヒョーバンは至ってワルイのや。
日本の「人力車」の、中国、インドへの伝播ルートについてはギモンありだが。日本のそれが、粋な風俗の一部にもなっていたのに比べ、階級差のはげしいインドなどでは、エンガチョ階級のショーバイとしてハナからサベツされて居ったということやんけ。