U-MAIL(ウンコ通信) 2006/06/26-2 


《ワメ的大書評》

えー、ここに2冊の本がある。9・11の現場に遭遇した一人のワカモノが、オゾマシイ体験から受けたココロの傷を癒しつつ、通り抜けた思索と行動の記録、と言えばいいか。とても最初の著書とは思えない、スピードと鮮明さに満ちた筆致。訴求力満点。

1)「グラウンド・ゼロがくれた希望」 堤 未果・著 (2004年6月・ポプラ社刊)

2)「アメリカ弱者革命」 堤 未果・著 (2006年2月・海鳴社刊)

ドッチもワメには逆説的に読めるタイトル。しかし、70年代初め生まれの著者としては酷いアンビヴァレンス通り抜けた末の、ストレートなアメリカ応援歌なのかも。

「グラウンド・ゼロがくれた希望」のプロローグは、こう始まる。

「2001年9月11日。ニューヨークの世界貿易センタービルが音を立てて崩れ落ちたとき、私のなかで理想であり憧れだった、アメリカという《夢》が砕け散った」

「私は途方に暮れていた。《グラウンド・ゼロ》。私のなかにできてしまった空間は、いったい何で埋めたらいいの?」

「テロから2年、答えを探し続けるなかで私は、さまざまな国の人たちにめぐりあった。科学者、医者、ジャーナリスト、平和活動家、退役軍人、人権派弁護士、学者」

「私の中で幻想のアメリカが消え、私はようやく語り始めることができる。グラウンド・ゼロが私たちにくれた、希望について」

しかし実は、彼女の結論は、この2冊を書き上げるズット以前、9・11の翌日に衝動的に書き留めたコメントの中に、既にハッキリ出ていたのや。そのコメントは、朝日新聞にメール投稿され、2001年9月27日の「私の視点」欄に載った。

アフガンへの報復攻撃を唱える小ブッシュの演説をテレビで聞いた時、「反射的に体が硬くなる」違和感覚えて書かれたこのコメントは、27日の「私の視点」に載った4本の中でも、飛び抜けて論旨明晰な1本。その結論部分をご紹介して置く。

「悪夢のような惨事に巻き込まれた一人の人間として、これ以上あの地獄絵図を繰り返すことには断固として反対する。正義だろうが聖戦だろうが、破壊と殺戮を正当化すれば同じコインの表と裏だと政治家たちはなぜ気がつかないのだろう?」

「人々は我先にと献血車の前に列をなし、死者たちのために涙を流した。それはニューヨークという街が、アメリカではなく、異文化の共存する国際社会の象徴であることを物語っていた。大昔から人間が繰り返してきた過ちに終止符を打つものの存在もここに隠されているように思う」

「歌われるべきは《無敵のアメリカ》だろうか?答えはノーだ。私たちが今、目を向けるべきは国家としてのアメリカではなく、多民族・異文化が共存する国際社会の縮図としてのアメリカだ。この不思議な国のありように、サラダボウルのスピリットに、私は未来への希望を見る」

ウム。ムダな感情吐露は一切無い。「過ちに終止符を打つものの存在もここに隠されている」とピンポイントする歴史感覚の鋭さはどーだ。

崩落したWTCの隣のビルで、現場の修羅を潜り抜けた直後のアドレナリンと、日本を代表する硬派ジャーナリストである父君からのDNAが、一瞬、見事に結合したのやねん。
母方の一族が市民権取って西海岸で暮らしているという家族環境はあったにせよ、高校出て直ぐ、自分の意志でアメリカ留学、国際関係論で修士号を取り、NGOや国連や日本証券企業などで働きながら、「理想の恋人・アメリカ」の真ん中で、自分の未来を模索していた未果サンにとって、9・11は、実は本来の資質だった「物書き」への絶好のスプリングボードになったとも言える。

今の日本の多くの「小説家」志望のワカモノのような「CHOICE」(モノズキ)からではなく、自分の中の《グラウンド・ゼロ》という「NECESSITY」(ノッピキナラナサ)から書き始めたことが重要なのやねん。

砕け散ったアメリカという《夢》のウラオモテをトコトン検証するため、9・11の後遺症(PTSD)引きずったまま、未果サンは充分にキケンなアメリカ各地の旅に出る。

その記録が2冊目の「アメリカ弱者革命」。インチキ臭いフロリダの電子式投票機械導入に反対してハンスト・キャンペン続ける男に同道しての、2004年の大統領選取材。大学進学チャンスを餌に、高校生をリクルート、州兵としてイラクに送り込むペンタゴンの手管。精神障害治療を必要とする10万イラク帰還兵。そのホームレス化。無料でダウンロード出来る、陸軍のオン・ラインゲーム「アメリカズ・アーミー」。ユーザー登録すると瞬時に個人情報が軍のデータに記録される仕掛け。デプレーテッド・ウラン弾のウソを暴く女性活動家。その他モロモロのアメリカ裏構造レポート。

もう殆どネイティヴ・アメリカン、バイリンガル・パワー駆使して、次々と取材を続けるそのタフネスには脱帽じゃ。それに較べてワメのアメリカ体験など無いも同然。1964年の夏、NYに1週間ほど滞在、毎日ブロードウエーのミュージカル観て、あとはワシントン、ラスヴェガス、ロス、サンフランシスコ、ちょいと国境越えてメキシコシティ、駆け足で回っただけ。その後は、80年代に、CM音楽の仕事で、ロスに出掛けた位。

ただ、実体験とは別に「アメリカ」に対する世代の感覚差は、否応無く存在する。

未果サンが「恋米」もしくは「愛米」から9・11で一気に「疑米」に突き落とされ、「検米」の末に「援米」もしくは「希米」に達したのに較べ、ワメ世代の「アメリカ」は、軍国少年の「撃米」に始まり、戦後は「親米」「反米」「嫌米」「蔑米」、そしてイラク侵攻以降のシッチャカメッチャカ小ブッシュ眺めての「憐米」と、まことにトリトメ無いチャイナマーブル。昭和ヒトケタは、なんともダラシナイ世代やねん。

しかしながら。単に好戦的世界番長にしか見えない今の「ネオコン式アメリカ帝国主義」の淵源がドコにあるのか、に関しては、ワメは、かなり確固たるイメージ持って居る。

それは、1945年生まれの米国ジャーナリスト、ワッサーマンが、ヴェトナム戦争末期の1972年に書いた「ワッサーマンのアメリカ史」。これを読んだ時に、目ン玉からウロコポロリと落ちて、それ以降、ワメのアメリカ観の「大分母」となって居るのだよ。

太平洋戦争も、ヴェトナム戦争も、コソボ紛争も、湾岸戦争も、そして、サダム除去口実のイラク戦争も、スベテはこの「大分母」上の「分子」に過ぎないのや。

その「ワッサーマンのアメリカ史」の冒頭部分をご紹介して、マトマリつかない、「ワメ的大書評」のケツロンと致したく。


「南北戦争のおかげで大金持になった商売人が何人かいる」「南も北も、金持に対しては、徴兵延期をもうけた。南軍連邦政府は奴隷を50人以上かかえている人を兵役の義務からはずした。そして北軍は、300ドルで兵役義務をのがれることができるようにした」
「300ドルを支払って兵役からのがれた人たちのなかには、J・P・モーガン、ジョン・D・ロックフェラー、アンドリュー・カーネギー、ジェームズ・メロン、フィリップ・アーマー、ジェイ・グールド、といった人たちがいた」

「北軍の戦争公債を売り広めるジェイ・クックの手もとには、コミッションだけでも、年に300万ドルの現金が入った」

「百万長者の銀行屋の息子であった24才のJ・P・モーガンは、陸軍から、旧式のカービン銃を1丁3ドル50セントで買い入れ、1丁22ドルで北軍に売りつけた」

「フィリップ・アーマーは、北軍に肉牛を売ってもうけた」

「コーネリアス・ヴァンダービルトは、ボロ船を海軍に売りつけ、その金で鉄道王国を作り上げた」

「ジム・フィスクは、禁制品だった南部の木綿を北に持ち込んで利益を上げた」

「ジョン・D・ロックフェラーは、クリーヴランドで商売して利益を積み上げ、それを精油業に投資していった」

「アメリカにおける《戦争長者》の原型が、出来上がりつつあった」

「メロンは父親にあてた手紙で《戦争がいつ終わろうと終わるまいと、そんなことは知ったことではなく、どんどんカネをかせいでいます》と書いた」


さよ、正義もデモクラシーもヘチマも無い。リンカーンの奴隷開放ばかりが強調された、かつてのアメリカ史は論外としても、アメリカ誕生の大出血、南北内戦時、既に「国家」の外側に、こうした連中が土壌をカタメて居ったのやねん。火事場ドロなんてもんじゃない。以降アメリカの「業」となる、マッチ・ポンプの原型と言った方がヨロシ。

で、アメリカは今も、このデンとした「大分母」の上に在るのやで。テロ直後、NYの街を埋めた「星条旗」は、その上に咲いた「仇花」やんけ。


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