U-MAIL(ウンコ通信) 2006/07/12 


コカ・コーラと言えば、アメリカ・ブンカの代名詞。W・W・2をヒトツの契機に自由経済世界に市場を展開、これに対抗するペプシ・コーラは、共産圏に市場を延ばした、と言われて居る。ホントかどーか知らぬ。でも、反米感情の強いソマリアに、ボトリング工場作るってのは、かなりなベンチャーではありましぇぬか?


「ヘラ鳥ウォッチング」

「COKE BECOMES ANOTHER SOURCE OF COFLICT IN SOMALIA」:07/12

「ソマリアのコカコーラ騒動」 マルク・レーシー

(ソマリア・モガデシュ発)

2年前、ここモガデシュに、コカコーラのボトリング工場がオープンした。400を超える投資者は、部族のバランス考えて慎重に選ばれた。

最低300ドルの地元投資を募って、ソマリア唯一のコカコーラ工場がスタートしたが、部族間の紛争が絶えないこの地で、工場の共同所有者という感情を育てるのはタイヘンなことなのだよ。

こんなモンダイの多い首都で、830万ドルかけて工場建設すると言うのは、大胆不敵なベンチャー・ビジネスやねん。まァ、1991年に前の政府が崩壊した後の混乱から、最終的には経済復興に向かうだろう、と読んでのことやんけ。

しかし、それから2年、ビジネス環境が大きく変化し、コカコーラ社はチャンスとリスクのハザマに立たされて居る。

この6月、イスラム市民軍が首都を接収、街を沈静化した時には、コカコーラ関係者は、これでベラボーなセキュリティ・コストが、直ぐに下がると期待したのや。

「以前は配達に武装警備員を付けねばならなかった」と工場マネージャーは言う。「今やそれは要らなくなった」「平和はシゴトを作り出す。人々にコークを買う収入を与える」
しかし、そうは問屋がオロサナカッタ。一部のイスラム僧がコークを、真正イスラム教徒が飲むべき飲料ではないと罵り始めたのや。

キッカケは、例のデンマークの、ムハンマド諷刺画事件。モガディシュの過激シーク、グルハンは、西欧はイスラムの敵だと宣言。デンマークのミルクからアトランタ発祥のコークまで、ソマリア国民が消費するべきものではないと。

アンチ・コークキャンペーンは、イスラム法廷の判事たちにまで達した。彼らは法廷で、長年この国を支配し、最近はアメリカからテロリスト根絶のための協力費を受け取っていた軍閥(WARLORD)を断罪したのや。これを材料に、イスラム市民軍はコークを飲む なと言うメッセージをモスクの中にまで広げた。

「オレは米国政府が軍閥と悪魔の同盟結ぶまではコークを売っていたさ。でも、もう売らない」とレストラン経営者。

コークも販売していた紅茶店の主人は、イスラム指導者から説得されてコークをヤメた。
「オレはバカだったから、コカコーラを売ったり飲んだりしてた。西欧の利益に協力する気はサラサラ無いぜ。コカコーラからシゴト貰ってる身内が居てもカンケイない」

「もし、オレにそれだけのチカラがあったら、オレはモガディシュのコーラ工場をブっ壊したるで」と言う英語教師も居てはるのや。

昨日の朝、コーク工場はシンとしていた。セールスマネージャーのハッサン・アェールは訪問者に氷入りのコークをサービスする。けれど、1時間に3万本以上を製造する製造工程は目下一時休止中なのだよ。ハッサンは反米運動を非難はしない。このところの冷たい気候がコーラ売上げ減少の理由だと言う。彼の意見では、ソマリア人の多くはアンチ・アメリカではなく、コークを楽しんでいると。ただ、アメリカ政府とソマリアの軍閥の同盟がアンチ・アメリカ感情を刺激したことは認めて居る。

「みんなは、アメリカを憎んでいるんじゃない。アメリカのやり方を嫌っているのさ」

1980年代にも、モガディシュでコークはボトリングされたことがある。その工場はとっくに廃墟化しているのや。当時のビンボー状態ではコークはゼイタク品だったのや。

2004年7月に新工場が完成する前、コークはアラブ首長国から船で輸入されていた。それは1本8000ソマリア・シリングもした。60セントや。これは途方もない価格やねん。新工場が出来てから価格は、1/3に下がった。

コークにとってウレシイ証言ヒトツ。31才のアブドゥラマンは、宗教リーダーのお説教なんざクソ喰らえだと。「アイ・ラブ・コカコーラ、毎日飲んでるよ。オレの一番のお気に入りさ」


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