U-MAIL(ウンコ通信) 2006/10/16 


えー、クリストフ君の、現代イスラム観、と言うか。でも、一般のイスラム論と一味違って興味深い。


「ヘラ鳥ウォッチング」

「LOOKING FOR ISLAM'S LUTHERS」:10/16

「今、イスラム教改革の時、ルターよ出よ」 ニコラス・D・クリストフ

(紐育・発)

西欧から見るイスラムは、時として、剣を揮い、爆弾を身に巻いた、中世的ファナチックな信仰と言うイメージ。法王がイスラムの暴力を非難し、それに対抗して原理主義者が修道尼を殺害したりと、西欧の疑念は高まって居る。

しかし、一般的なイスラムのイメージ、神の名に因る暴力、不寛容、過去へのオブセッション、などは、イスラムという様々なモザイクの一片に過ぎないのだよ。こうしたイメージでは、何故イスラムが、こんなに急速に世界的大宗教に発展したのか、説明できない。
イスラムの発展は、福音キリスト教の発展と似たところが多くある。厳格な法典を備え、混沌と不道徳の中にある人々へ精神的安定と秩序を与え、貧者の尊厳を守る点など。

この原理主義の筋道は、改革の筋道へ繋がって居る筈。さよ、イスラムの21世紀は、キリスト教の16世紀に当たるのかも。イランのような強硬路線の国々には、イスラム改革を推進しているマルチン・ルター連が居てはるのや。特にこの改革路線の中でビックリするのは、「フェミニスト・イスラム」と呼ばれる一派の出現なのだよ。

オレはよく、イスラム諸国の「名誉殺人」その他、少女や女性が凌辱されるハナシをレポートして来たから、多くのヨーロッパ人は、イスラムを本質的男尊女卑の国と思うかも。しかし、それは西欧独特の思い込みだと、イスラム女性は怒るのだよ。アタシたちだって男女同権を望んで居るのだと。でも、自分達は、信仰も、頭に巻くスカーフも、捨てることはないけれど、と。

「そう、アタシたちのブンカの中には、たしかに男女サベツは有るけど、それはイスラムのセイじゃないの」と、子供向けの本を書いているリマ・ホレイビは言う。その本とは、「イマン」と言う名の、信仰心篤いイスラム少女の物語。

「イマンの冒険」というタイトルのこの本は、大当たりで、続編が12月に出版される。この本を書いたのは、「イスラムのフェミニズム」を推進したい自分の情熱からだと。
ホレイビ女史は、男女同権を唱えるコーランの一節を引用して、ムスコもムスメも同等に扱うべきやと。

イスラムのフェミニスト連は、コーランはムカシのアラブ社会に較べ、全体的に女性の地位を引き上げたと論じる。女嬰児の間引きを禁じ、多妻制を制限した。今、必要なのは、進歩と文明化への大いなる精神だと。

コーランの字句をめぐっては、イロイロな議論がある。例えば、コーランは4人までの多妻を許しておるが、それは戦争の結果、夫を亡くした妻たちの子供を育てるためだと。しかし、現代では、そういった状況は無いのだから、コーランは矢張り、重婚を禁じて居るのだ、と言う風な。

また、サウディ・アラビアの女たちは、ムハンマドの妻たちが、ラクダに乗って居たのだから、アタシたちがクルマに乗っても構わない筈だと主張するのや。

「イスラム教も、他の宗教と同じように、解釈がイロイロある」イランの平和ノーベル賞受賞者、シリン・エバディ女史は自叙伝の中に書いて居る。「解釈によって、女性を抑圧することも、解放することも出来る」

モロッコの女性イスラム研究者ファテイマ・メルニッシは、ムハンマドが一番愛した若い妻アイシャの例を引く。アイシャは熱心に、若い聖職者に愛国心を競わせた。最初のイスラム・フェミニストかも。

ムハンマドのコトバとして、有名なのが、男の祈りは、その最中にオンナや犬やロバが前を通り過ぎると、キキメが無くなる、というもの。しかしアイシャはそれをナンセンスと斥ける。ムハンマドはアタシの目の前で祈っていたことがあるわ。

また、アイシャは、ムハンマドが、女性の月経を汚れたものと見做したという説も否定。アイシャは初期のイスラムの教えに、一連の訂正を与えて居るのや。しかし、その殆どが無視されて来た。漸く今になって、社会が、それに耳を傾け始めたのだよ。

つまり、スラム教は、かなり複雑なものだと言うことや。その暴力や原理主義ばかりが注目される(それはフツーのイスラム教徒によって大声で非難されるべきものだが)今、広範なイスラム世界の中で聞こえてくる雑音を、無視するのでなく、イスラム教改革のヒトツのステップとして、丁寧に聞くべきやねん。


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