U-MAIL(ウンコ通信) 2006/12/04 


えー、先日、第2次世界大戦の終了を知らされず、働き続けたブラジルの《ゴムの兵隊》をご紹介した。で、今回は、ヴェトナム戦争にコダワって、《たった一人の戦争》を続けて居る男のハナシ。ワメ流にまとめてご紹介致す。


「ヘラ鳥ウォッチング」

「NO CLOSER TOFADING, AN OLD SOLDIER FIGHT ON」:11/25〜26

「老兵は死なず。ヴェトナム戦争続行中」 セス・マイダンス

(バンコック・発)

リー・トン。元南ヴェトナム軍パイロット。62才。あの日以後、アメリカに亡命し、アメリカ国籍を持つ。そして今、タイ国バンコック中央刑務所に居てはる。

彼はアメリカ軍と共にベトコンと戦った。しかし、1975年南政府は降伏、以後、共産党政府がヴェトナムを支配して居る。なのに先週、小ブッシュ大統領がハノイ訪問、その資本主義的発展を称賛した。あれから30年、国民の半分の世代は戦後生まれ、亡命した何万人の同志も、商用でしばしば故郷に飛び戻る。テトなどの祭日には贈り物を携えて。後悔もノスタルジーも無く。リー・トンはそれが気に入らない。

で、2000年、クリントンのヴェトナム訪問時に、トンは「歴史を巻き戻す」計画を実行したのや。タイ国に入り、飛行訓練を装って小型機を掠奪、ホー・チン・ミン市の上空に飛び、「国民の決起を促す」反共パンフレットをバラ撒いたのだよ。眼下には、繁栄する近代都市の風景が広がって居た。

「ソ連は崩壊した。ヴェトナム、中国、北朝鮮、スベテの共産主義国家は崩壊させるべきだ」そして、こう署名した。「共産主義への対決蜂起を促す世界同盟」

当然トンは逮捕され、タイ国法廷で6年のハイジャック刑を終えた今も、手錠のままヴェトナムに送還される国際犯人引渡し手続きに抗議して、タイの刑務所内に残留して居るのやねん。「オレのような自由の闘士に、なんと言う仕打ちか!」

さよ、ヴェトナムは今もなお「戦争中」であり、今の共産主義政府を「国」とは認めない亡命者たちにとって、トンは伝統的ヴェトナム歴史上、勇敢な英雄のシンボルなのだよ。
今年4月には、アメリカ国籍ヴェトナム人、チャン・フー・グエンが、南カリフォルニアから「自由ヴェトナム政府」を提唱、フィリピンとタイのヴェトナム大使館に爆弾を仕掛ける計画を立てたとして、ヴェトナム政府から告発され、韓国政府に拘留されて居る。

こうした例は多いのだが、トンほど有名になった人物は少ない。彼の物語は、1980年彼がヴェトナムの「再教育キャンプ」を脱走したところから始まる。17ケ月の艱難辛苦、彼は徒歩で、自転車で、あるいは列車、バスを利用して、ヴェトナム、カンボジア、タイ、マレーシアを抜け、ジョホール海峡を泳ぎ渡って、シンガポールに着き、アメリカ大使館に亡命したのや。

アメリカで彼は、警備員として働きながら、ニューオーリンズ大学で政治学の学士資格を取ったのや。こうした経歴を記した300ページの自叙伝「黒い鷹」によって、かれは亡命者たちのレジスタンス・シンボルとなったのやねん。

セレブに成り上がった彼は、しきりに講演会を開き、賞を受け、ジープの上に立って街路をパレードした。軍服を着て微笑し手を振りながら。

その頃彼はまた、フロリダで、セスナ機にパンフレットを積込み、それをハヴァナ上空から撒き、「老いぼれの恐竜フィデル・カストロに対しての蜂起」を唆したのや。

その罰として、彼はパイロット免許を取り上げられたが、犯罪とは認められず、拘束もされなかった。そこで、クリントンのヴェトナム訪問時ネラって前述の攻撃しかけたのや。
しかし、リー・トンの物語も今や終点に近付いて居る。何ケ月か後、彼はタイ国を追放され、ヴェトナムに送還されそうだ。其処でもう一度自由を取り戻すチャンスは先ず無い。彼は既に、自分の運命を受け入れて居るのや。「刑務所の中も外も、オレにとっては同じさ。アメリカでは学校に通い、勉強し、本も読んだ。刑務所でも勉強し、本を読む。ヴェトナムで、鎖に繋がれようが、手錠はめられようが、オレの心は自由さ」

万一、自由になれたら、ヤルことはキマって居る。もう一度戦争に戻るのさ。「自分の国全体が、拷問を受け、苦しんでいるのに、ひとり楽しむなんて、どうして出来るのさ」


ウム。低賃金労働力提供など、今や共産主義共和国ヴェトナムは、資本主義マーケットの中にスッポリ嵌まり込んで居る。2004年初め、例のグエン・カオキ将軍の「ヴェトナム帰郷」が、注目を集めた。(2004/01/20・26・27付けの「ヘラ鳥ウォッチング」参照)アメリカで経済的成功を納めた在米南ヴェトナム人の「望郷」の念と、ハノイ政府の資本主義アクセス志向を結んだ小ブッシュの策略と言われたが。


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